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神田駅 目次



■神田駅(2007年)

「今なら友達に、なれるかな?」

理科の実験。二酸化マンガン。バスケットボール。
花柄のワンピースを着て、公園でライカ。

――――――――――――――――
第一話 『発車』
第二話 『球技大会前日』
第三話 『球技大会当日』
第四話 『理科室と二酸化マンガン』
第五話 『停止』
第六話 『改札』
第七話 『花柄のワンピースとライカ』
第八話 『夏雨』
第九話 『陽炎』
第十話 『現在』
最終話 『車輪』
――――――――――――――――
■略歴
2007年08月15日 ― 執筆開始。
2007年08月26日 ― 執筆完了。

■映像

■Movie production by NORTHBASE.
■Narration by SORA.
[ 2007/09/01 19:25 ] 長編:神田駅 | TB(0) | CM(2)

神田駅 あとがき後編



※この「あとがき」は【神田駅】を書く事になった経緯を、
 わざと物語的に書いた、小説風ドキュメンタリー系あとがきです。
 誇張した演出・表現が多々ございますが、どうぞ気楽に読んでください。
 これは小説ではありません。
--------

そらさんが【駅にまつわる物語】の為に作ったショート・ムービー。
今度は、僕が【ショート・ムービー】の為に、新しい物語を書こうと思った。

さて、新作としての【神田駅】を書くにあたって、
原作【駅にまつわる物語】から変更する必要がある点が何箇所かあった。
まずPVにおけるナレーションでの「神田君」という呼び方が、
原作との一番大きな、とても解りやすい違いだった。

原作では、女の子は「神田」と、男の名を呼び捨てにしている。
原作における女の子は、少し勝ち気で、いじめっ子グループにいて、
中学時代は神田の行動を鼻で笑っていた一人、というイメージだった。
要するに、ちょっと厭な感じの女の子。

ところが今回、PVを作るにあたり、そらさんから、
「神田は"君付け"の方が良いと思ったんだけど、どうかな?」
という相談を受けた。

僕はその意見に乗った。
神田を「君付けで呼びたい」というのは、
如何にも「そらさんらしい世界観」だと思ったし、
僕の世界観をPV動画にしようとする、そらさんの世界観を、
さらに僕が新しい小説にする、という試みの方が面白いと思ったからだ。

なので【神田駅】という作品世界は、
恐らく、そらさん自身が思っている以上に、
そらさんのおかげで成立した世界観だと、僕は思っている。

それは「神田を"君付け"で呼ぶ世界」だし、
それは「花柄のワンピースが存在する世界」だった。



【神田駅】 あとがき後編



原作【駅にまつわる物語】に、花柄のワンピースは存在しない。
確かに「欲しい服がある」とは書いてあるが、ワンピースとは書いてない。
そして原作において、ワンピースは重要な役割を果たす訳でもないのだ。

PVを見た方なら気付くと思うが、ナレーションでは台詞が流れている。
それは原作を読んだそらさんが、ご自分でイメージした台詞で、
実際の【駅にまつわる物語】には、何処にも出てこない台詞だ。
PV内で流れている台詞は、以下。

・「神田君、どうしてこんな時間までバイトしてんの?」

・「夏休みにみんなでディズニーランドに行こうって言ってるんだけど、
 結構お金かかるんだよねぇ」

・「うちの親きびしいからおこづかい全然くんないんだよねぇ」

・「売り切れたら嫌だなぁ」

・「でもその前にちゃんと頑張って働けば……」

・「ライカ?……へぇ」

落語に【三題噺】というものがある。
出された三個のお題に合わせて、即興で噺を作っていくものだ。
恐らく、これは、それに近い感覚だと思う。

原作に存在しない六個の台詞。
これを新作【神田駅】の中に組み込む作業が、一番楽しかった。

原作では会話の場面を細かく描いている訳ではないのだけれど、
PVには「女の子の台詞」がある訳だから、それを組み込むならば、
当然「神田の台詞」も必要になってくる。
会話をするのだ。

そこで今度は、僕から、そらさんに質問をした。
まず「売り切れたら嫌だなぁ……」という台詞の意味を訊くと、
ディズニーランドに行く時に着て行きたい可愛い服を見付けたのだけれど、
値段が高いから買うのを迷っていて、だけれど神田に対する見栄もあるし、
取り置きする勇気も無いけど「売り切れたら嫌だなぁ」と言った、
という意味なのだと、そらさんは返した。

なので続けて僕から、
「高校生くらいの女の子が、皆と遊ぶ時に着たいと思って、
 だけど”ちょっと高いな”と感じるのは、どのような服なのか?」
と質問した。

すると何種類かのワンピースの資料と、
そのような服が売っていそうな店の資料を見せてくれた。
これは本来まったく原作には存在しない場面だったのだけれど、
最終的には新作【神田駅】にとって、もっとも重要な場面となった。

原作【駅にまつわる物語】という短い物語を軸にして、
そらさんが作った「神田を"君付け"で呼ぶ世界」は優しい。
そこから生まれた「花柄のワンピースが存在する世界」も優しかった。
それを僕なりの世界で再構築する作業こそ、あの【神田駅】だった訳だ。

そこで僕が最初に選択したのが、
「欲しかった花柄のワンピースが手に入らない世界」
だったというのが、僕らしくて、僕自身は非常に気に入っている。

手に入らなかったからこそ、女は虚無的だ。
原作と同じように、電車の中で、女は虚無的に記憶を弄ぶ。
ところが物語の中盤、電車が動かなくなる。
これは原作には無かった。

電車が止まる前。
女が思い出していたのは「神田君」にまつわる記憶だが、
記憶の主役はあくまでも神田であり、女自身は、それを客観視している。

ところが電車が止まった時。
女は自分自身の記憶と向き合わなければならなくなる。
過去に、同じように動けなくなった自分、その時、目の前に立っていた男。

小さな約束。

叶わなかった約束。

手に入らなかったワンピース。

女は自分自身の記憶と向き合いながら、考える。
動かない電車の中で目を開けたが、現実は何も変わらないと思う。
その時、何処からか声が聴こえる。

「電車は何をキッカケに動き始めると思う?」

瞬間。
ガタン、と息を吸い込むように、電車が揺れる。
車輪がゆっくりと回転を再開し、また電車は動き始めるのだ。

記憶を経た現在を「現在なのだ」と認識した時に、電車は動き始める。
目的地に到着した時、女は席を立ち、颯爽と電車を降りる。
原作で描かれた物語であれば、ココで終わる。

ところが、あえて今一度言うが、
そらさんが作った「神田を"君付け"で呼ぶ世界」は優しい。
そこから生まれた「花柄のワンピースが存在する世界」も優しかった。
それを僕なりの世界で再構築する作業こそ、あの【神田駅】だった訳だ。

そこで僕は「神田駅を降りた後の物語」を続けた。
原作で行方知れずになったままの神田を、取り戻さなければならない。
それが「今の僕だからこそ書ける物語」なのではないか。

そして最終話を書く事になるのだが。
少し話がズレるが、最終話前の数話を書く直前に、
僕にとってあまりにも大きすぎる悲しみが、僕自身を襲った。
私生活での出来事だ。

それはココ数年で、もっとも大きな衝撃で、
まさしく「手に入らなかった花柄のワンピース」と同じだった。
僕自身が書いた物語そのままに、僕は僕自身と向き合う必要があった。
僕自身の記憶とだ。

それで第十話と最終話は、あのような形になった。
本当は直前まで、神田の行方は解らないままにしようとも考えていた。
それは原作において、ほとんど「死」にも近いニュアンスで描かれている。
だけれど、それは止めた。

女には「鶴見」と名付けた。
それで【神田駅】という作品が完成したように思う。
鶴見から神田へと続く電車の物語こそが【神田駅】という物語だ。
それは止まる事なく続き、今も尚、動き続けている。

この物語を、
今回、共に【神田駅】の世界を生んでくれた、そらさんに捧げたい。
そして原作【駅にまつわる物語】を生むキッカケとなった過去達の記憶と、
今、こうして【神田駅】を読もうとしてくれる、現在の貴方達に捧げたい。

それから、僕が愛して、慈しんで、欲しくてどうしようもなかった、
あまりにも大切すぎた、過去と現在を経た何か、に捧げたいと思うんだよ。

歩きながら、空を見ていた。
真昼を過ぎた午後の太陽は、ほんの少しだけ傾き始めていたけれど、
まだまだ明るく、高く、尊く、
オレンジ色に暮れる気配など、少しも感じさせなかった。

歩道の先から、踏み切りの音が聴こえた。
電車が通過する。
ガタン、ガタン、ガタン、ガタン、ガタン。

その音は長く、長く、長く、この瞬間、何時までも響いているようだった。
[ 2007/08/31 19:32 ] 長編:神田駅 | TB(0) | CM(0)

神田駅 あとがき中編



※この「あとがき」は【神田駅】を書く事になった経緯を、
 わざと物語的に書いた、小説風ドキュメンタリー系あとがきです。
 誇張した演出・表現が多々ございますが、どうぞ気楽に読んでください。
 これは小説ではありません。
--------

【神田駅】は最終的に、全11話に及ぶ物語になった。
さて「コラボ、コラボ」と書いてはきたが、一体どの辺がコラボだったのか?
この点は、最後まで読んでくれた人達も、よく解らなかったかもしれない。

僕が三年ほど前に書いた【駅にまつわる物語】という作品がある。
※⇒【駅にまつわる物語】

それは非常に短い、五分もあれば読めるような文章だ。
当時の僕が好んでいた、散文的で、悲劇的な、短い物語だった。
【神田駅】という作品は、この【駅にまつわる物語】が元になっている。

覚えておいてくれ、それが出発点だ。


【神田駅】 あとがき中編


一緒に何かしてみたい、とはいえ、何をしたいかは決めていなかった。
数分歩いて見付けた店で、温かいお茶を飲みながら、何をするか考えた。

「作品のショート・ムービーを作ってみたらどうだろう?」

自分の作品を映像にする、というのは、作り手なら誰でも夢に見ると思う。
僕もそうだった。
だけれど、そうする方法はよく解らなかった。
だから、そらさんの提案を聞いた時も、僕は少し漠然とした気持ちだった。

映像かぁ。
まぁ、映像になったら良いなぁ。
だけど、どうすれば良いのかなぁ、カメラ持ってないしなぁ。

「イメージが湧きそうな作品ある?」と訊かれた時に、
真っ先に何となく思い浮かんだ作品が【駅にまつわる物語】だった。
僕はうろ覚えの記憶を掘り起こして、この作品の内容を説明してみせた。

電車が……走っていて、窓の外を電柱が通り過ぎて……ガタン、ガタン。
女の子が座ってる、女の子と呼ぶには、少し大人になりすぎてはいるが。
女の子は中学時代の同級生を思い出している……その同級生は……。

「いいね、それ、すごくいい」

温かいお茶を飲みながら、そらさんが言ったので、僕は安心した。
安心したというのは変だけれど、面白くないと言われなくて良かった。
確かに僕自身は、頭の中にある映像を文字にしている訳だから、
僕の中にあるイメージを共有できたら素晴らしいと思ったけれど、
それは中々難しい事なのではないかな、と思っていた。

「今の場面さ、こんな感じで、こんなイメージだよね」

ところが、そらさんの話を聞いて、僕は何度も「そうそう!」と頷いた。
自分の頭の中の風景を、視覚的に共有出来る事の、何と素敵な事か。
そらさんが「じゃあ映像にするのは、私に任せてね」と言った。

数日後、完成したPVを見せてもらった。
あまりに見事な出来栄えで、僕は何度も繰り返し眺めた。
それは【駅にまつわる物語】の為に作製されたショート・ムービーだった。

さて、ここまでの時点で、僕は何もしていなかった。
一緒に何かをしよう、と声をかけてくれたそらさんに対して、
何かをしてもらってばかりで、ここまで僕は特に何もしていなかった。

「このショート・ムービーは好きなように使ってね」と言ってくれたので、
僕は(今、現在も)それを好きに使わせてもらおう、と思った。
正直なところ、今、この瞬間も、僕はそらさんを登場人物に見立てて、
小説風な文章で事の顛末を描いているけれど、それを正直なところ、
そらさん自身がどう思っているのか、申し訳ないけれど僕は知らない。

もしかしたら、あまり表立って登場するのは厭かもしれないし、
事細かに描かれるのも迷惑かもしれないのだけれど、僕は書いている。
だけれどそれは、別に「そらさん、すごくいい人なんですよ!」だとか、
「僕達、コラボしたんですよ!すごいでしょ!」と言いたい訳ではなくて、
多分、僕の【神田駅】という作品にとって、コレが一番良い方法なのだと、
僕が信じているから、そうしているのだと思う。

良いと思ってやっている事が正しいとは限らない。
この「あとがき」を読者の人達がどう読むのかも、よく解らない。
よく解らないけれど、出来るだけ正直で素直な言葉で、僕は伝えたい。
何を伝えたいか?
僕が何を考えながら、この作品を書いたのか、という事実をだ。

そんな事を伝えられても、皆の生活は少しも豊かにならない。
何処かの国の戦争が収まる事も無ければ、誰の腹も満たされない。
雨が突然、晴れになったりもしなければ、誰かの給料が上がる事もない。
おおよそほとんど全ての人達にとって、僕が何時、何処で、何を考えて、
どんな想いで作品を書いていたとしても、まるで関係の無い事だ。

それでも僕は、あらゆる手段を使って、吼えたいのだ。
俺の声を聴け、と。
ほんの少しくらい、俺の存在に気付いてくれても良いじゃないか、と。

そして、読め、と。
お前の記憶に俺を残してくれ、と。
それだけの価値がある記憶を、植え付けられる保障は無いが、
それでも俺の声を聴け、と言っている。

ショート・ムービーが何度でも、繰り返し、再生される。

今の僕だからこそ出来る事を、僕はやってみたかった。
今の僕だからこそ書ける【駅にまつわる物語】を書いてみたかった。
当時の僕が好んでいた、散文的で、悲劇的な、短い物語ではなくて、
今の僕だからこそ書ける【駅にまつわる物語】があるはずだと思ったんだ。

それは自分が文章を書き続けなければならない目的や理由が不明瞭で、
それでも今まで書き続けてきた僕がいて、色んな出会いと別れがあって、
嗚呼もう一秒後にも死んでしまいそうな気分になって、それでも生きてる、
今の僕だからこそ書ける物語なのではないか。

そらさんが【駅にまつわる物語】の為に作ったショート・ムービー。
今度は、僕が【ショート・ムービー】の為に、新しい物語を書こうと思った。

それは、まったく新しい物語ではない。
それは、過去に刻まれた、僕の記憶にぶら下がった物語を基にした、
過去の記憶を経た、現在の記憶の為の物語だ。
延々と続く記憶の物語だ。

それが【神田駅】と名付けられた、新しい物語だった。
[ 2007/08/30 18:24 ] 長編:神田駅 | TB(0) | CM(0)

神田駅 あとがき前編



※この「あとがき」は【神田駅】を書く事になった経緯を、
 わざと物語的に書いた、小説風ドキュメンタリー系あとがきです。
 誇張した演出・表現が多々ございますが、どうぞ気楽に読んでください。
 これは小説ではありません。
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7月6日の太陽は、夏が始まる少し前の太陽で、
世間的には七夕の一日前の太陽で、穏やかな重さを伴う太陽だった。
絵本作家のそらさんと会ったのは、そのような7月6日だった。

地下鉄を降りて、腕時計を見ると、16時30分を回っていた。
待ち合わせ時間に少し遅れそうだった僕は、街中を走っていた。
放課後、デザイン学校の生徒達が、僕が来た道を、逆方向に歩いて行く。
地下鉄の駅に向かっているのだろう。

そらさんは普段、デザイン学校で先生をしたりもしている。
今、僕が向かっているのがそこで、授業が終わる時間が16時30分だった。
要するに、今、僕は「軽く遅刻をしている」状況に置かれているという訳だ。

駅から歩いて五分、というイメージで走っていたのだけれど、
どうやら出口を間違えたらしく、一番遠い場所から走っているようだった。
5分走っても辿り着かないので、僕は軽く歩いた。(遅刻してるのに)

通りの向こうから、女性が歩いてきて、僕を見付けると手を挙げた。
そらさんだった。
そらさんは笑顔で、僕を見付けると小走りになった。

遅刻している側が歩いているのに、遅刻された側が走っている。
これは申し訳ないと、せめて走っているフリをしようとしたが、遅かった。
そらさんは僕の元に辿り着くと「ごめんね、授業が遅くなって」と言った。

僕は「いやいや、そらさんが謝る必要は何処にもない」と思いながら、
今さっきまでは走っていたのですよ、という自分を伝えようと、
わざと大袈裟に息を吸ったり吐いたりしながら「こんにちは」と言った。
それが僕の、7月6日の始まりだった。

我ながら、不細工な挨拶だった。



【神田駅】 あとがき前編



話は一旦、数日前に遡る。
当時、僕はblogで【飢える皇帝】という物語を書いていた。
カレーライスが好きなのに、生まれて一度も食べた事がない皇帝の話で、
僕としては秀逸な設定だと思っていたのだけれど、読者の反応が薄くて、
勝手に「惨敗だ」と切り捨てて、終わらせてしまった物語だった。

それは僕にとって、すごく悲しい出来事だった。
自分が文章を書き続けなければならない目的や理由なんて、
僕にとっては何時だって不鮮明だけれど、その時は、より不鮮明だった。

その出来事の悔しさを、僕はmixiの日記に書いた。
それは作家という自覚があるならば、良くない事だと思うけれど、
僕は、僕という人間は、そういう事を書いてしまう人間だと思うし、
結果的に、それは書いて良かった事だと思っている。

その日記を読んだそらさんからメールが届いたのは、次の日だったはず。
そこには書き手としての共感もあっただろうし、同情もあっただろうし、
ほんのちょっとの仲間意識を感じてくれたのかもしれないけれど、
とにかく「一緒に何かやりたいですね」という内容が書いてあった。

そらさん、という人物は、しっかりとした実績を持って活動している、
本職のイラストレーターだ。(※そらさんプロフィール
僕なんか、偉そうに言っても、自分の好きな事をタラタラやってるだけで、
別に大した実績なんか無いし、それは本当に恐れ多い誘いだと思った。

「いや、どうせ俺なんて……」

と言いたくなるような誘いだった。
その上「もう文章なんて辞めたらぁ」と思ってるような時期だった。
それでも、僕はココから動きたかった。
数日前の惨敗なんて忘れてしまいたかったし、僕は前に進みたかった。

「解りました、こちらこそ是非、お願いします」

そのような返事を書いた。
そこで話を戻すけれど、7月6日、16時30分。
そうして誘ってくれた人との待ち合わせに、僕は遅刻したという事になる。
正確に言うと待ち合わせ時間は16時40分だったから、
時間ギリギリだったと言えるし、やっぱり少し遅れていたとも言える。

「とりあえず何処かに座りましょうか」

そらさんが言って、僕等は並んで歩いた。
放課後の学生達と逆方向に歩き、何本かの横断歩道を渡り、
道を少し曲がった場所に、大きな木が植えてある公園のベンチがあった。

「遅刻したお詫びに」と言って、僕はラムネを買った。
遅刻したお詫びが100円程度のラムネというのも、我ながらどうだろう。
それでも、そらさんは笑って「ありがとう」と受け取った。

公園のベンチは、道路沿いにあるにも関わらず、意外と静かだった。
最初、僕等は他愛のない話をした。
学校の先生というのはどんな気持ちなのか、だとか。
誰かが捨てた空缶があるから、これは灰皿代わりになる、だとか。
街の中にこういう公園があると、ちょっと心が休まるモンだよね、だとか。

大きな木のおかげで、太陽の光は届かなかった。
それは少し肌寒いくらいで、そらさんはラムネを飲み干すと、
女性らしい肌寒そうな仕草で「場所を変えて話しましょ」と言った。
僕等はベンチを立って、何処か紅茶でも飲める店、を探した。

7月6日の太陽は、夏が始まる少し前の太陽で、
世間的には七夕の一日前の太陽で、穏やかな重さを伴う太陽だった。
絵本作家のそらさんと会ったのは、そのような7月6日だった。
[ 2007/08/29 16:38 ] 長編:神田駅 | TB(0) | CM(1)
目次
★説明




★短編






★長編小説














★短編






★お笑い








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