
「ホルモン屋台・店主のゾンビが臓物をブチ撒ける」
興味本位でB級小説に手を伸ばし、案の定、気分を悪くしたのでありました。
夏が終われど風鈴は揺れ、明日から新学期が始まるとは、まるで思えなかったのでした。
それが昨夜の出来事です。
目が覚めると本日が訪れ、私はパンを食べ、歯を磨き、制服に着替え、家を出たのです。
パンは少し焼きすぎだったかもしれません。しかし本日の予定には、あまり関係ありません。
今、最も大切なのは、予定通りのバスに乗り、少し早めに学校へ到着する事でありましょう。
何故なら私は図書委員で、特別に図書室の鍵を管理する立場だったからです。
バス停留所にはサラリーマン男性が二人と、女子高生が一人立っていました。
その三人が三人とも、大きな白いマスクを口に当て、静かに直立しているのでした。
新聞やテレビの情報番組がインフルエンザの恐怖を宣伝するようになって、早二週間。
大きな曲がり角から真っ赤なバスが見え、それは緩やかに此方に向かって走るのでした。
バスに乗る楽しみは、停車ボタンが点灯する様子を見る事と、運転席の真後に座る事。
どちらも私に関係ない部分で、勝手に世界が動いているのでありました。
私は只、傍観している気分に浸っている。無責任な傍観。
それが何より好きなのでした。
白浜君は、名前どおりの白い人です。
偽りなき白。
少し面倒くさそうに、本を整理します。
透き通るように白くて、洗い立てのシャツのような人です。
思えば私が密かに彼を目で追っているのも、バスに乗る楽しみと似ているかもしれません。
図書委員だからといって早めに登校しなければいけない決まりはありません。
本の貸し出しは放課後に限るし、返却だって、確認するのは放課後なんです。
それでも私が午前6時45分のバスで登校するのは、白浜君を傍観するという、
個人的な趣味に浸りたいが為なのでしょう。
白浜君は一学年下の図書委員です。
本が好きなワケでは無くて、勝手に押し付けられたのだそうです。
動物が好きだけど動物から好かれず、特に猫から好かれず、最近は犬派らしいのです。
ケーキが好きで中でもクラシック・ショコラが好きだけど、よく食べるのはモンブランです。
妹が一人いて、最近大ゲンカしたのだそうです。
そんな話を知っているのは、こうして毎日、朝早くから図書室に通っている故でありました。
コン・コン・ゴゴンと音が聞こえて振り返り、すぐにそれが咳だと気付きました。
背後の吊革に掴まっているサラリーマンが、小さな咳を二回、大きな咳を一回したのでした。
大きなマスクをしてましたから、感染の心配は少なくても、やはり気分は悪いものです。
それで私は顔を背けて、十秒間ほど息を止めてみせました。
私が無呼吸でも、バスは走るものですから。
乗客の九割が口にマスクを当てる、狭い空間です。
どうして私だけはインフルエンザに感染しないと、信じ続ける事が出来るでしょう。
誰もが等しく警戒し、それでも逃れられず、それに飲み込まれて往くのに。
生の希望も、死の絶望も、それから恋の予感だって、きっと似たようなものでしょう。
白浜君に会いたいのです。
まだ人影少ない学校で。誰も居ない図書室で。本を重ねて。
ああ私の中の細胞が、いよいよ私を飲み込んで、私の中を白浜君だらけにします。
コン・コン・ゴゴン。コン・ゴゴン。
コン・コン・ゴゴン。コン・ゴゴン。
昨日読んだB級小説は最低でしたが、何も読まないよりマシでした。
図書室で本の整理をしている時に、会話のタネになるはずですから。
コン・コン・ゴゴン。コン・ゴゴン。
コン・コン・ゴゴン。コン・ゴゴン。
運転手が咳をして、私は我に帰りました。
もしかすると、咳をしていないのは、私だけかもしれません。
バスの中は、もはやインフルエンザ菌が蔓延しているのかもしれませんでした。
誰もがインフルエンザに夢中なのでした。
同じように、もしかして。
皆が白浜君に夢中だったら、私はどうしようかと、一人で考えました。
もしも世界中が白浜君に、その真っ白な正しさに恋をしたら、私はどうしようかと。
きっと私は恋をして、皆と同じように恋をして、皆の中の一部になって。
ほんの一瞬、何か特別な事が起きないかと、願うでしょう。
「ホルモン屋台・店主のゾンビが臓物をブチ撒ける」
興味本位でB級小説に手を伸ばし、案の定、気分を悪くしたのでありました。
夏が終われど風鈴は揺れ、今日から新学期が始まるから、早く馴れてしまわなくっちゃ。
コン・コン・ゴゴン。コン・ゴゴン。
コン・コン・ゴゴン。コン・ゴゴン。
マスクなんか必要ないよ。
白浜君、もしも私がインフルエンザにかかったら。
ねぇ、何にもしてくれなくったって良いよ。
五分間だけ、お見舞いに来て欲しいな。

電車は走る。軽やかに。それを僕は見ない。
季節は君を連れ去ってしまうか。ならば僕も過ぎようか。
お気に入りの歌が流れ始めて、また何にも聴こえないフリをしている。
君が思うよりずっと軽やかなモンだよ。肩の力を抜こう。
あのリフが最高だったんだ。君も知っていたはずだよ。
忘れちまっただけだろ。あんまり忙しかったから。
それっぽい答を見付ける前に、思い出せよ。
色んな景色があるよ。色んな歌があるように。
色んな絵があって、色んな形があって、色んな人達が居たろ。
パー・ピープル・プー・ペイン。
ポップ・ミュージック。
僕のライン。ああ軽妙なリズム。
色んな景色があるよ。色んな歌があるように。
色んな絵があって、色んな形があって、色んな人達が居たろ。
パー・ピープル・プー・ペイン。
ポップ・ミュージック。
君のライン。ああ奇妙なリズム。
電車は走る。軽やかに。それを僕は見てた。
君の匂いに振り返ったけれど、そこには誰も居なかった。
夏が終わるから、このまま風が吹いて、君の悩みが溶けたら良いのにな。
パー・ピープル・プー・ペイン。
ポケット・ミュージック。
君と僕のライフ。ああ、ああ、絶妙なリズム。
電車は走る。軽やかに。それに僕は乗ろう。
電車は走る。軽やかに。それに僕は乗ろう。

昨日は最悪だった。
何が最悪だったのかも思い出せない。
多分、思い出したくないのだろうが、それすら思い出せない。
それで僕は酒を飲んで寝た。この家の、この部屋で。
飲酒運転に厳しい世の中では、酒を飲んで帰る事さえ難しい。
コンビニ缶ビール。徒歩五分。小雨。傘は差さない。それは面倒だから。
缶ビールに缶詰。感情は内側に秘めて。吐き出す事はしない。
嗚呼、眠りは深く、短い。
水中から月光が見える距離で、浅はかな呼吸を試みている。
吸って、吸って、吐く。吸って、吸って、吐く。
何も捨てない。只、掃き散らかす。
記憶は塵のように――。
「起きた?」
メリルの声が聞こえて、僕は目を覚ました。
枕に顔をうずめたまま頷くと、その後頭部にメリルの声が被さった。
「起きた?」
寝ている人間に寝たか起きたか質問する行為は、嫌がらせだと思う。
「……寝てる」
「起きてるじゃん」
「寝てたけど、起こされた」
「へぇ、誰に?」
メリルの声が遠ざかり、代わりにガスコンロに火を点す音。換気扇の音。
肌で感じる緩やかな熱気は、恐らく炊飯器の湯気だろう。
その上をタマゴ焼きの匂いが漂っている。
朝飯の匂い。
朝飯の時間だから、僕は起きた。
何か最悪な夢を見たような気がするが、もう覚えていない。
短い欠伸。髪を掻き毟る。
落下するようにベッドから降りて、首を鳴らす。
メリルの後姿が見えて、彼女の鳴らす規則正しい包丁音が聞こえる。
「ほら、早く着替えてね」
朝のニュース。
人殺しの記事と、人救いの記事。静かなニュース。
例えば菜箸は相応に長く、フライパンは相応に重く、ならば僕等の命は。
白く丸い平皿は清潔で、この料理を美味そうに見せている。
ふんわりと焼き上がったタマゴ焼きを、その皿に乗せてみせよう。
「お腹すいた?」
「ん」
「も少し待って」
点いては消える火だよ。そして流れる水だ。
水滴の、その音を追うように。たゆたい。たゆたう。やがて歌。声。
繰り返される逆接・対比・重複表現。欲しいのは真実だよ、メリル。
議論と共有。本音。そういうものを求めている。
ソイツに触れるのは何時だって難しいけれど。
ソイツに触れる瞬間、僕等は何時だって無敵なんだ。
テレビの中じゃ死者の数がカウントされているけれど、本当は何も知らない。
今日は誰が笑うだろう?
今日は誰が泣くだろう?
何をするべきなのか解らなくて考えてみるけれど、何時か答に辿り着くだろうか。
もしかしたら何も解決されないままなのかもしれないが、それも良いだろう。
自分自身を天秤に架けさえしなければ、怖れる未来など少ない。
幸と不幸を嘆くなど、何の意味も無い。
How many people cry?
「いただきます」
「ん」
「ほら、ちゃんと」
一緒の食事が楽しみだから、明日が来るのが楽しみなんだよ。
毎日、毎日、そうなんだよ。
朝だよ。誰にも平等な朝だ。よく眠り、腹を空かせて起きる。
小さなタマゴ焼きを、一口。
「ん、美味い」
世界は相変わらず。
相変わらずなモノだから、守りたくもあるよ。
メリル、当たり前の出来事に、支えられ、忘れられ、愛されている。
「はいはい」
Somebody will cry.
Somebody will laugh.
Life is rough.
My life is life for somebody.
「ほら、今日も頑張って」
そんな風にしてシンプルに、僕等の世界はツクられている。