
深夜の公園で、僕と水野は待ち合わせた。
梅雨が終わったといえ、夜は肌寒い。ブランコの表面は湿っている。大きな電灯が一本。静寂。
手で押して来た真新しい自転車のサドルの上に、僕は小さな黒いカバンを乗せた。まだ水野は来ていない。
乱雑に積み上げられた荷物の一番上に、鉄砲。
玩具の鉄砲? 否、本物の鉄砲。
撃って試した訳では無いが、モデルガンと本物の違いくらい、手に取れば素人なりに判別できる。
コルトM1917。ネットで調べると、それは1960年まで日本の警察に配備されていた鉄砲だという事が解った。
何故そんなモノが漫画喫茶の前に棄てられていたのかは解らない。単に誰かが落としただけかもしれない。
とにかく今、それは僕の手元にあり、交番に届ける訳でもなく、机の引き出しに隠し持っている訳でもなく、
それを使って今夜、僕は女の子とコンビニ強盗をしようとしている。「いやはや、ごめんね、待った?」
背後から声。
振り返ると、明らかな部屋着に身を包み、肩から大きなカバンを下げ、化粧を落とし、髪を振り乱し、
黒縁眼鏡をかけた水野が走ってくるのが見えた。「待った」僕は呟いたが、水野には聞こえていまい。
「ごめんね、ちょっと迷っちゃって」
迷う? 着る服に迷っていた訳ではないだろうし、自分が指定した公園だから、道に迷った訳でもないだろう。
「それにしても、本当に来てくれたんだね、どうもありがとう」
しまった。別に本当に来る必要は無かったのか。時すでに遅し。来てしまったモノは仕方がない。
「……何に迷ったの?」
「ん、これこれ」水野は肩から下げた大きなカバンに手を入れると、二枚の布キレを取り出した。
「……何それ」
「マスク! コンビニ強盗といえばマスクが必要でしょ!」
呼吸を整えるように息を吐きながら、水野は言った。「私、ルチャドールに憧れてたんだよね」……ルチャ?
「ルチャリブレ! メキシコのプロレス、知らないの? 男はルチャドール。女はルチャドーラ」
何を言っているのか解らないが、水野がメキシコのプロレスラーを尊敬している事は理解できた。
「男に憧れてたの?」
「違うよ、ルチャドールに憧れてたの、とにかく!」
水野は二枚の布キレを自分の両頬に当てると「どっち被りたい?」と言いながら僕を見た。まさか。
「え、そのプロレス用のマスクを被るって意味?」
「当然。他に何を被るっていうの?」
素材が何かは知らないが、麗しいほどの光沢を携えた二枚のマスクは、目立つ事この上ない。
ロマン輝くエステールも驚きの輝きを放っている。「興味本位で聞くけど、そういうマスク、何枚持ってるの?」
「そうね、200枚以上かな、まだまだ集め足りないけど」
なるほど。200枚以上の中から選りすぐられた2枚。それは時間もかかるはずだ。
「別に……どっちでも良いよ」
「じゃあ君はコッチね、コッチは私が被りたいから」
一枚を半ば強引に僕に手渡すと、水野は眼鏡を外し、ピンク色のマスクを被り始めた。
その格好のまま目的地まで歩く気ではあるまい。水野は本気でコンビニ強盗をする気があるのだろうか。
まるで緊張感が無い。もしかすると水野は"コンビニ強盗ごっこ"をしたいだけでは無いだろうか。
淡い期待が儚く崩れたのは、一秒後。
「じゃあ今から、今夜の作戦を発表するね、よく聞いて」
水野はカバンから大学ノートを取り出すと、それを開いて見せた。
各店舗の時間帯別の売上・客層・客数・店員の態度・店内カメラの配置・防犯対策の有無。逃走経路。
全ての情報が細かい文字と図で、一面に書き込まれている。水野は一枚のページをめくり、人差し指を置く。
「今は水曜の夜だから、南通りのコンビニが狙い目ね。やる気ない中年フリーターが店員だから」
時間帯別の客数は現在、0〜2人。カメラは設置されているが、あまりチェックをしていない。
入口の前は細い車道で、角を曲がると入り組んでいる。途中、広い路地に出る辺りに自転車を用意しておく。
「鉄砲は、持ってきた?」僕は無言で、真新しい自転車のサドルに乗せた小さな黒いカバンを指差す。
「じゃ、頼むわね、相棒」ピンク色のマスクの奥に潜んだ瞳で、水野は僕を見た。そんな目で見られても困る。
――「コンビニ強盗するなら、コード・ネームが必要ね」
自転車を押しながら目的地に向かう途中で、水野は呟いた。
専用のマスクは自分のポケットに入れ、化粧を落とした水野の素顔が、月明かりに照らされている。
「コード・ネーム?」今宵は満月で、絶好の犯罪日和なのかもしれない。深夜の路地は静かで、只、暗い。
暗くて深い夜の片隅から、何か楽しい事が始まらないかと願っている。明日が来れば、素晴らしい日々か?
「そ、コード・ネーム。そうね、男が主導権を握ってる方が、やっぱり悪の組織っぽくて良いわよね」
欧米のフェミニストが聞いたら怒り出しそうな事を、水野は屈託なく言った。
「私、2号で良いわ。ピンクのマスクだから、桃色2号」
それから僕のマスクに触れて告げる。
「君、青色1号ね」
瞬間、少し前に蒲田と交わした会話を思い出した。空缶の表面に記載された合成着色料。
C37H34N2Na2O9S3。ラットが大量の青色1号を摂取すると、発癌するらしい。確かに強そうかもしれない。
日々は退屈だった。僕は冬が好きだった。彼女は失われたままで、季節だけが車輪のように、回転していた。







