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神田駅 最終話



小さな人波に押されるように電車を降りると、私は振り返り、男の子の席を見た。
男の子は座っていなかった。
今、一緒に降りたのかと思ってホームを見渡したけれど、人が多くて解らなかった。

北側の改札に急ぐと、私は道行く人の背中を眺めて歩いた。
だけれど男の子の姿は見付けられなかった。
改札を抜けて北口に出ると、鞄から携帯電話を取り出した。

「あ、もしもし、私です。
 電車の事故に巻き込まれて少し遅れそうだったんですけど、
 今からタクシー拾えば、多分ギリギリ間に合うと思うので、すみません」

受話器の向こう側に、上司の小さな溜息。
何時もの事だ、とでも言いたげな溜息だったけれど、何時もの事ではない。
少なくとも今の私は、まったく何時もの私ではないのだ、と言ってやりたい気分だった。

「お前が言い出した企画なんだからな、遅れずに来いよ」

それだけ言うと、上司は電話を切った。
私は携帯電話を鞄に戻しながら、器用にタクシーを拾った。
乗り込んで、運転手に行先を告げて、一息吐いたところで、車窓の外を見る。
男の子。

「あ……」

電柱の影に、男の子が見えた気がした。
だけれど中学生くらいの男の子の制服姿なんて誰でも同じで、もしかしたら別人かもしれなかった。
擦れ違う瞬間、私は小さく頭を下げて、先程の、男の子の言葉を思い出した。
運転手はバックミラー越しに、私を不思議そうな目で眺めてた。
言葉の理由は、まるで解らないままだったけれど。


(電車は何をキッカケに動き始めると思う?)





「遅れてすみません!」

打ち合わせ場所は小さな喫茶店で、店の扉を開けるや否や、私は頭を下げた。
若い女の子の店員が「はい、すみません、いらっしゃいませ」と、かなり困惑したように言った。
「あ、ごめん、あなたじゃなくて……」と言いながら、私は小さな店内を見渡した。
奥の席に、見慣れた上司の背中が見える。

「遅れてすみません」

案内しようとする女の子の店員よりも先に、上司の座るテーブルに辿り着くと、
まず最初に私は謝罪を述べたけれど、正確に言うと約束の時間に遅れた訳では無い。
只、約束の時間ギリギリだった。

「いいよ、別に遅れた訳じゃないし、電車の事故だったみたいだしな」

上司はホット・コーヒーを口に運びながら、無理な笑顔を作って言った。
無理な笑顔を作る理由は、上司の前に、別の人物が座っているからだ。

「とにかく座りな」

言いながら、小声で「お前の企画なんだから、しっかりな」と付け加える。
私は上司の隣の席に腰を下すと、挨拶もそこそこに、鞄から資料を取り出した。
目の前の人物に面識は無いが、今回の企画に協力してくれる人間だろう。
その辺の詳しい事情は、上司が知っているはずで、まだ私には知らされていなかった。

私は地元の情報誌を編集する仕事を任されている。
任されていると言っても、今年の春に配属されたばかりで、
今回の企画が、初めて自分で用意した企画だった。

テーマは「秋の神田周辺の散策」。
神田周辺の隠れた名スポットを取り上げていこうという、
ありがちと言えばありがちな企画だけれど、私にとっては初めての企画だった。

「はじめまして、よろしくお願いします」

テーブルの上に資料を出しながら、目の前の人物に挨拶をする。
すると上司が、見合いの席で二人の仲を取り持つ仲人のように、互いを紹介した。

「あ、ウチの期待の新人、鶴見です」

普段は新人と呼ぶ事さえ無いくせに、恐らく思ってもない事を、上司は言った。
私は口元の両端で笑いながら、再び頭を下げる。
続けて目の前の人物。

「コチラは今回、お前の企画でカメラマンをお願いする、神田君」

儀礼的に頭を下げかけて、瞬間、今の言葉を反芻する。
目の前の男は、眼鏡の奥の目で緩やかに笑って「よろしくお願いします」と言った。
隣で上司が「神田の企画で神田君なんて、中々シャレてるだろ?」と下品に笑いながら、続ける。

「神田君は、以前に他の企画で写真をお願いしたんだけど、若いのに良い写真を撮るんだよ。
 俺の一押しだな、光栄に思えよ」

混乱していた。
上司の言葉は何時も通りのお世辞の類かもしれなかったけれど、
目の前に座る「神田君」と呼ばれた人物が、私の想像した神田君である偶然性は低いけれど、
それでも私は、充分すぎるほどに、混乱していた。

「じゃあ、鶴見、企画の説明よろしく」

混乱した頭のまま、上司の言葉に促されて、私は企画の説明をした。
説明する側の私の頭の中が疑問符だらけの状態では、我ながら何を話しているのか解らず、
それでも目の前の「神田君」は真剣な表情で、何度も頷き、何度か私に質問をした。

目の前の「神田君」は適当に返事をしているようで、真剣な目をして話を聞いていた。
まるで一個一個の言葉を、どれひとつ聞き逃さないように、頭の中で何度も租借して、
自分が納得出来た言葉だけに反応しているような、丁寧な話し方だった。

「……以上です」

言い終えた後、すぐに私はコップの水を飲み干した。
上司が「お、何だ緊張してたのか?」と、面白がるように言った。
目の前の「神田君」が、テーブルの上の資料を手に取って、静かに眺めた。
煙草に火を点けながら「どう、神田君、イメージ湧きそう?」と、上司が問いかけた。

「そうですね、良い企画だと思います。
 只、秋の神田を撮影していくなら、風景の写真だけじゃなく、
 風景の中に人物が入っていた方が、写真の面白味は増すと思いますね」

右手の人差し指で眼鏡の位置を直しながら、目の前の「神田君」が言った。
上司は煙を吐き出すように「なるほど、モデルが必要か……」と上を向いた。
私は現実感の無い煙草の煙を、こっそり目で追いかけた。

「彼女が良いんじゃないですか?」

私が「え?」と驚く前に、上司が「鶴見が!?」と驚いた。
それは考えてみれば失礼な反応だったのだろうけれど、あまり気にならなかった。
私自身、思いも寄らない提案だった訳だから。

「まぁ、確かに黙って立ってればモデルも出来そうだけどなぁ。
 だけどコイツ、完全に素人だよ? まぁ、モデル代が浮くのは助かるけどなぁ。
 どう、お前、やってみる?」

先程の反応が遅れて届いたように、改めて「え?」と私。
目の前の「神田君」は、少しだけ悪戯っぽく笑って「やってみましょうか」と言った。

「……はい、良いですけど」

「秋の神田がテーマでしょう?
 そうだな、ここで公園に寄りますよね、ここは写真が必要だな。
 ああ、そうだ、花柄のワンピースで撮影なんてどうでしょう……少し寒いかな?」

「……え?」

目の前の「神田君」は、風貌に似合わないくらい、一気にまくし立てた。
まくし立てながら、床に置いてあった箱を開け、何かを取り出す。
喫茶店の、琥珀色の照明を浴びて、綺麗に輝くレンズ。

ライカ。

瞬間、私は確信を持って感じる事が出来た。
嗚呼、この人は、神田君だ。
あの神田君だ。

「どうです、用意できそうですか、花柄のワンピース?」

その一言で、私は泣いてしまった。
それまで溜め込んでいた全てが流れるように、泣いてしまった。
泣きながら何度も「はい」と答えようとするのだけれど、中々声が出なくて、
それはすごく無様で、情けない姿だったと思うのだけれど、それでもしっかり答えたかった。

「……はい……はい……はい……」

上司は煙草を口にくわえたまま固まって「え、何で泣くんだよ」と言った。
それから「お前、やりたくないなら断れよ」と見当違いな事を言ったので、
私は慌てて頭を振った。

「嫌だ、やる、絶対に」

「……いや、お前がやりたいなら、別にいいんだけどさ」

冷えたコーヒーを口に運びながら、上司は疑問符を投げかけるように、神田君を見た。
神田君は演技っぽく首を傾げると、口元で緩やかに笑った。
私は泣いていたけれど、とても穏やかだった。



(電車は何をキッカケに動き始めると思う?)



「……ねぇ、何時から気付いてたの?」

上司が先に帰った後、喫茶店を出ると、私は訊いた。
神田君は昔のように笑いながら「店に入って来た時から」と答えた。

「どうして?」

「だって謝り方が、昔、学校に遅刻してきた時と同じだったからね」

「え、酷い、嘘だ、私、中学校の頃に遅刻なんてしてきた事ないよ」

「ううん、あるよ、何度か、同じ謝り方だった」

忘れる為に忘れられた、全ての過去達。
忘れようとしても忘れられなかった、全ての過去達。
その全てを経た上に、奇跡的に訪れているのであろう、私の現在。
神田君の現在。

「よく覚えてるね、そんな昔の記憶」

「記憶を残しておくのが、僕の仕事なんだ」

「記憶を残しておいて、神田君は何がしたいの?」

「見てみたいんだよ、全てを」

それ以上、神田君は特に何も言わず、
代わりに首から下げた小さなカメラを手に取ると、小さなレンズを私に向けた。
向けながら、わざと意地悪そうに言う。

「一度、君を撮ってみたかったんだ」

「駄目、それはライカじゃないもん」と、お返しに、少し意地悪な私。

「あ、酷いな、コレだって一応、カメラなんだよ」

「あ、ほんと?」

「それに君だって、花柄のワンピース着てない」

「あ、ほんと!」

二人同時に、笑った。
笑った二人の前を、真青な車が通り抜けていった。
それは今、この瞬間に、もう呆れるくらいに、単なる笑い話だった。

「ねぇ、神田君?」

「何?」

「次の休日は何日?
 今度の撮影に、私、花柄のワンピースを着るんでしょ?
 買いに行くから付き合ってよ、言いだしっぺなんだから、ちゃんと責任取ってよね」

神田君は笑った。
当たり前の事だけれど「いや、どうせ俺なんて」とは言わなかった。
言わない代わりに何度も頷いて「わかった、わかった、ちゃんと責任は取るよ」と言った。
不意に、神田君はポケットから、イヤホンを取り出した。

「何、音楽?」

「うん、聴いてみる?」

神田君から手渡されたイヤホンを耳に当てると、よく知った曲が流れて来た。
それは本当によく知った、高校時代に、何度も、何度も、飽きるまで聴いた曲だった。
あの花柄のワンピースを買えなかった日に、あの帰り道で買った、別に欲しくもなかった音楽。
それを私は、何度も、何度も、繰り返し聴いた。

「どう?」

神田君が訊ねる。
私の答えは、最初から決まっていて。
それは何年も前から決まっていたような、当たり前すぎる答えだった。

「うん、好きよ、私」

歩きながら、空を見ていた。
真昼を過ぎた午後の太陽は、ほんの少しだけ傾き始めていたけれど、
まだまだ明るく、高く、尊く、オレンジ色に暮れる気配など、少しも感じさせなかった。

歩道の先から、踏み切りの音が聴こえた。
電車が通過する。
ガタン、ガタン、ガタン、ガタン、ガタン。

その音は長く、長く、長く、この瞬間、何時までも響いているようだった。

■完
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[ 2007/08/26 23:14 ] 長編:神田駅 | TB(0) | CM(6)
なんだか、普段、気づかないように、見ないようにしているような、そんな部分を、優しく撫でられた様な、そんな。

どこかで止まってしまった私が、私の中にいるのなら、どう、動かそうか。
[ 2007/09/05 21:59 ] [ 編集 ]
よく行くよ神田駅
orangeしゃんへ☆

神田にクライアントがいるので
降り立ちますよ、
「神田駅」
殺伐としているようで、
降りてみるとなかなかあたたかかったり
生々しかったりする街です。

嫌いじゃない街。

映像が浮かんでくるような
物語でした。

記憶のひだも
ゆらされました。

抱えたモノも
大切にもってあるいてもいいし
時期が来たら
手放すこともできる自由。

すべてなにか
些細なきっかけや
自分が自分で
選んだすべてに折り合いが
ちょっとだけつくような
区切りの瞬間。。

そうだ、
「駅」みたいな時に
そういうことがおこって、
また少しだけ前にすすんだり
できるのかもしれないですね。

いい物語でした。

いつも
ありがとう!
[ 2007/08/29 11:03 ] [ 編集 ]
うむ。やばいな。
心の奥のやわらかい記憶を掴まれたような気分。なんだか泣きたくなった。


ほんとにいい作品でした。ありがとう。
[ 2007/08/28 22:59 ] [ 編集 ]
いい話
あの、その、何ていうか、困りましたね(´ω`)
何故かね、泣きたくなるんです。
凄く、いい作品でした。
[ 2007/08/28 16:47 ] [ 編集 ]
あらら
なんだか気合いいれてコメントしようと思ったら
逆に愉快なことになってしまったわ

察してほしい(真剣な目で誤魔化す
[ 2007/08/27 15:17 ] [ 編集 ]
踏ん張り時だ!
頑張れ作者!斜体の文太字の文色付きの文字
[ 2007/08/27 15:12 ] [ 編集 ]
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