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鉛色のサンデー 第七話

蝿の卵は、羽化を始めようとして居る。

平凡な日々は続いて居たが、間も無く終わろうとして居た。
踏み切りの遮断機が降りて、再び上昇する。

赤色の点滅。
その解決と、理由なき許可。
歩行の自由。

人々は、歩き出す。
理由が欲しいけれど、理由など考えない方が楽だ。
ブルーチタンのピアスが耳に馴染む頃、もう春は終わろうとして居た。






第七話 『羽化』




「ジョー・ペリーみたくなってきたよ」

高広の伸びた髪を撫でながら、文乃が言った。

「いや、まだそこまで伸びてないでしょ」

くだらない週刊誌を読みながら、高広が答える。
文乃の手に触れようとすると、ページが一枚、勝手に捲れた。
高広の部屋の窓は開けられて、穏やかな春の終わりの風が入って来た。

「タイラーなのに、ジョー・ペリーなんて、変なの」

「うん、そりゃ確かに変だ」

「あ、蝿」

高広と文乃の間を、一匹の蝿が、音も立てずに通り過ぎた。
まだ小さな蝿だ。

「もうそんな季節?」

「まぁ、この辺は田舎といえば、田舎だからね」

「都会の片隅だ」

「何か厭だな、その表現」

高広は小さく笑うと、週刊誌のページを捲った。
音楽も流さない午後の部屋は、静かだった。
日常は淡々と、酷く平凡に流れて居た。
全てが予定された出来事のようだった。

高広は平凡だった。酷く平凡だった。
敵を作る事も無ければ、必要以上に味方を作る事も無かった。
障害を乗り越えてまで、難解な何かに挑戦するような事も無かった。
全ての偶然は、ほとんどの場合は必然で在るから、全てを受け入れた。

だから文乃が此処に存在する事も、特別な事では無かった。

無かったのだ。



「前から気になってたんだけどさ、此処って何が入ってるの?」



高広は顔を上げ、文乃の声に、目を向けた。
文乃は高広の机の引き出しを、開けようとして居た。
鍵をかけて居るので、開ける事は出来ない。
引き出しがガタガタと音を立てる。

「触んなよ!其処!」

高広は思わず、大きな声を出した。
文乃は驚いた表情をして、引き出しから手を離した。

「何、急に?」

「あ、ごめん」

「何、どうしてそんなに怒るの?」

「怒ってないよ」

「怒ったじゃん」

高広は視線を逸らし、再び週刊誌のページを捲った。
文乃は何も言わず、高広を見詰めて居る。
蝿は窓際で、羽を休めて居る。

「何で?何で怒ったの?」

「だから怒ってないって」

「見られちゃ厭なモノが入ってるの?」

「そう、エロ本とか」

不自然な静寂が、捨てられた空缶の奥底にこびり付いた、
不快な腐臭のように、沈殿して居た。
それは拾っても洗っても、既に手遅れな気がした。

「嘘」

「何が?」

「嘘じゃん、エロ本なんて」

実際に、エロ本なんて今更、隠してさえ居なかった。
文乃が何度か高広の部屋に訪れるようになって、
偶然(実にベタではあるが)ベッドの下からエロ本を発見して以来、
高広はわざわざエロ本を隠すのを止めた。
エロ本どころか、アダルトビデオさえ一緒に鑑賞した。

「本当だよ」

「嘘」

「引くほど酷いエロ本なんだ」

「じゃあ、引かないから、それ見せてよ」

その場しのぎの嘘にしては、あまりにも下品で馬鹿らしかった。
部屋の温度が、厭に暑く感じられた。
五分くらいの間に、一瞬にして春が終わり、夏が始まったようだった。
小さな蝿が、窓際から天井へ、飛んだのが見えた。


「もういい」

「何が」

「もういいよ、秘密なんでしょ」

「何が」

「仕方ないよ、誰にだって、秘密はあるもんね」

「何が」

「私にだって、誰にも言えない秘密があるもん」

「何が」

「私にだって、タイラーにも言えない秘密があるもん」


上手い言葉なんて、出て来ないんだ。

高広は平凡だった。酷く平凡だった。
敵を作る事も無ければ、必要以上に味方を作る事も無かった。
障害を乗り越えてまで、難解な何かに挑戦するような事も無かった。
全ての偶然は、ほとんどの場合は必然で在るから、全てを受け入れた。

だから鉄砲が此処に存在する事も、特別な事では無かった。
鉄砲を手に入れたからといって、高広が劇的に変化する事など無い。
それはたまたま高広の手に渡っただけであり、それは単なる必然だった。
だからといって、高広が劇的に変化しなければいけない訳ではないのだ。

無かったのだ。



「帰るね」



文乃は立ち上がると、それ以上は何も言わずに、部屋を出た。
あの時、文乃を引き止めれば良かったのだろうか。
だが、全ては遅すぎるような気がする。

酷く憂鬱だ。

酷く空虚だ。

酷く無力だ。

煙草に火を点けた。

煙草を深く吸い込んで、吐き出した煙を眺める。

これは習慣だ。
細く糸を引く煙の先は、何処かに繋がって居るような気がする。
だが、何も見当たらない。
宝探しの地図を眺めるように、何度でも煙を吐き出す。
北極点から赤道を越えて、南極点まで。

イギリス人のロバート・スコットが、
人類初の南極点到達に向けて出発したのは、1910年の事だ。
33人の隊員を引き連れて、ロバート・スコットは南極点を目指した。
同時期に、ノルウェー人のロアルド・アムンゼンも、南極点を目指して出発して居た。

ロバート・スコットが投入したのは、二台の新型動力雪上車だった。
しかし二台とも、すぐに故障した。
スコット隊は馬を使ったが、耐寒温度を下回る気温に、馬達は次々と衰弱して往った。
スコット隊は自分達の足で、南極点を目指す事になった。
寒さと飢えで、スコット隊は消耗して往った。

前へ。

前へ。

さらに一歩、前へ。

南極点に到達した時、スコット隊の目に映ったのは、ノルウェーの国旗だった。
ロアルド・アムンゼン率いるアムンゼン隊は、寒さに強い犬を使って、
スコット隊より一ヶ月も早く、南極点に到達して居たのだ。

スコット隊は意気消沈の中で、南極点を後にした。
その帰路の途中で、彼等は遭難し、凍死し、そして全滅した。

ノルウェーの国旗を眺めて、ロバート・スコットは何を思ったか。
スコット隊の悲劇は、何度でも繰り返される。
灰皿には憂鬱が溜まった。

何が間違って居たんだ?
何処かに原因は在ったはずだ。
だけれど今となっては、よく解らない。

深夜になって、携帯電話の着信音が鳴った。
文乃からだった。
着信音はすぐに切れた。

一分後に再び着信音が鳴ったが、高広は出なかった。
恐らくは、今日の事を謝ろうとしてるのだと思った。
だったらメールにすれば良いのに、と思った。
だけれどメールは届かなかった。


高広は、浅い眠りの中に居た。


ロバート・スコットが、ノルウェーの国旗の前で泣いて居る。

あと一歩。

あと一歩。


せめてあと一歩、早ければ。


せめて。

せめて。


今となっては、何もかもが、遅すぎる。





次に携帯電話が鳴ったのは、朝方の五時一分。




声は、泣いても居なかったし、笑っても居なかった。

それは救援信号にも似て居たが、恐らくは全てが終わった後だった。

只、もう全てが終わってしまった事実だけを、報告する作業のようだった。





「助けて」





文乃が呟いた声は、小さな蝿の羽音みたいだった。

聞き逃したら、何も知らずに済むような、酷く渇いた声だった。
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