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鉛色のサンデー 第八話

時は呆れるほど、無邪気だ。

屈託の無い笑顔で、進んで居るようにも見える。
たまに深遠な表情で考え込んで居るようにも見えるが、
時は呆れるほど、最期には笑うのだ。
笑う為に考え込んで居るようにも見える。

前へ。

前へ。

さらに一歩、前へ。

高広は走って居た。
踏み切りを越えて、緩やかな坂を越えて、古びた駅まで。
あの日、文乃が座って居た、薄汚れたベンチを越えて、改札機を越えて、
プラット・ホームまで。

高広の携帯電話の、受話器から聞こえた声。
文乃の渇いた「助けて」という声。
一言だけで電話は切れた。
もう繋がらない。

電車が来た。
急いで乗り込もうが、車内で喚こうが、速度は変わらない。

早朝の電車。
人はまだ、それほど多くはない。
懸命に念じれば、少しくらい速く動くような気もする。

ガタンゴトン。

ガタンゴトン。

現状に対して、不自然なほど、穏やかな空気。
背広を着た会社員が、座りながら寝て居る。
荷物を膝に乗せた老婆が、前を向いて居る。
音は無い。酷く静かだ。

線路の上を、電車が走る。
一定のリズムに合わせて、電車が揺れる。
不意に雑音。

高広の耳の傍を、蝿が通り過ぎて往った。
それは何処からか入り込んだ蝿かもしれなかった。
それとも高広の家から連れ込んだ蝿かもしれなかった。

高広は目を閉じた。

暗闇の中で、何かが揺れて居る。
酷く不規則な動きだった。
恐らくは風に揺れて居る。
それが遠くに見える。

手を伸ばしても届かない。
だから高広は、暗闇の中を歩いた。
歩く毎に、それは鮮明な形となって現れた。

揺れて居る。

四角。
赤色。
真ん中に、青い十字架。

白く縁取られて居る。
中心から、少しだけズレて居る。
それはまだ十字架には成り切れて居ないように思えた。

それは旗だった。
暗闇の中に揺れる、大きな旗だった。
旗の元に辿り着くと、何故だか解らないが、高広は泣いた。

車内アナウンス。

高広は目を開けた。
そこは文乃の住む町だった。
高広は電車を降りると、再び走った。






第八話 『水が溜まる臓器』




灰色のマンション。
五階建てのマンションの、二階の一番手前が、文乃の部屋だった。
オートロックも無ければ、エレベーターも無いような、安い造りのマンションだった。
灰色のマンションは全体的に陰気で、人気が無さそうだった。

(住人少ないのよ、此処)

初めて文乃の部屋に入った時に、彼女が言った台詞だ。
高広は階段を昇り、文乃の部屋の前に立った。
立った瞬間に、急に厭な予感がした。
先刻から、あまり考えないようにして居た予感だ。

インターフォンを押す。

反応は無い。

延々と続く、灰色の廊下の、一番手前。

完全な静寂。

鉛色のドアノブに触れる。

右に半回転。

開いて居た。

部屋に入る。
見慣れた玄関で、靴を脱ぐ。
恐らくは、酷く馬鹿らしい、習慣。

テレビ。冷蔵庫。小さなソファ。青色のベッドシーツ。
壁に飾られた何枚かのポストカード。
閉じられたカーテン。

それから、全裸で倒れた、文乃。

それは高広が予想して居た光景とは、少しだけ違った。
それから酷く、不自然な光景だった。

文乃は血まみれだった。
だがそれは、例えば自分で手首を傷付けたような血まみれでは無かった。
鼻と口からは、禍々しい色をした血の痕が在り、しかし既に渇いて居た。

文乃の周辺には、白い粉が散乱して居た。
衣服は、自分から脱ぎ捨てたようには見えなかった。
全裸になったと言うよりも、全裸にされたと言う方が適切だった。
それから文乃の腹から床にかけて、白い液体が零れて居た。
やはり、既に渇いて居る。

文乃の目は開いて居た。

文乃は静かに呼吸をして居た。

肺が酸素を吸い込み、吐き出す度に

文乃の胸が、小さく上下して居るのが見えた。

高広は座り込み、文乃の手を握り、何故だか泣いた。
何が起きたのかも解らなかったし、何も解決して居なかったが、泣いた。
文乃の手は酷く冷たくて、文乃だけが、冬になったみたいだった。


(だからね、私があげたピアス、してよ)


全裸になった文乃は、全裸だったけれど、耳にはピアスが光って居た。
流れた血が固まった髪の毛の奥で、ブルーチタンのピアスが光って居た。

高広は馬鹿みたいに泣いた。

何の為に?
誰の為に?

文乃の肌。
赤色。
白色。
青色。

午前八時八分。

救急車が到着した。




青い海が徐々に、オレンジ色に侵食されて往く。

オレンジ色は再び、青色に侵食されて、空に昇る。

成層圏は青色か?

まぁ、とにかく、空に昇る。




病院の白い雰囲気と、薬品の匂いが嫌いだ。
それは汚れる事を否定される感覚にも似て居る。

ベッドの上で、文乃は眠って居た。
高広は窓際に座り、眠って居る文乃を眺めた。
窓の外を眺めるような事はしなかった。

目を覚ましても、文乃は何も言わなかった。
正確には、何も言えなくなって居た。

声帯の機能を失った訳では無い。
再び話す事は、出来る。
約束は無いが。


何が起こった?


あの時。
文乃からの着信が鳴った。
一分後にも鳴った。

意地を張らずに、電話に出ておけば良かった。

全ては遅すぎるのか。
何処かに原因は在ったはずだ。
文乃は何も言わない。

掘り出すんだ。
探れ。
探れ。

朝方に電話が鳴った。
その前。
文乃からの着信が二回、鳴った。
その前。
文乃と部屋で、小さなケンカをした。
その前。
文乃が部屋で、引き出しを開けようとした。
その前。
週刊誌を読みながら、文乃が高広の髪を撫でた。

飛行機を見た。
耳に穴を空けて、ブルーチタンのピアスを通した。

黒ゴマのシフォン生地と黒ゴマクリームのケーキ。
黒ゴマとバニラの二色ソフトクリーム。
黒ゴマの生クリームサンデー。

エアロスミス。
スティーブン・タイラー。

イヤラシイ声。
イヤラシイ声。

指先。
黒髪。
太股。

文乃。




嗚呼、文乃。




思い出してしまった。

高広の体内に、何処にも流れ出る事のない水が溜まる臓器が在って。
何かの拍子に細い針で突くと、洪水が起きるように。
細い針は、今ではもう、文乃だった。

高広は、泣いた。
何年間も溜め込んでしまった水が、止め処なく流れるように泣いた。

高広は大学に行かずに、毎日、病院に通うようになった。
何を話す訳でもなく、話しかける訳でもなく、文乃の隣に居た。
只、隣に居た。

文乃は寝て居る事が多かった。
起きて居る時間も在るが、大抵は窓の外を眺めて居た。
文乃が窓の外を眺めて居る時は、高広も一緒に窓の外を眺めた。

何もかもが、何も解らないままだった。
だが追求はしなかった。
日々は進んだ。

時は呆れるほど、無邪気だ。

屈託の無い笑顔で、進んで居るようにも見える。
たまに深遠な表情で考え込んで居るようにも見えるが、
時は呆れるほど、最期には笑うのだ。
笑う為に考え込んで居るようにも見える。

前へ。

前へ。

さらに一歩、前へ。



ある日、文乃は声を出した。

文乃の顔の傷が、少し消えかかった頃に、文乃は声を出した。
その日も文乃は窓の外を眺めて居たが、
突然、何か大切な事を思い出したように、声を出した。
高広は文乃の隣で、やはり窓の外を眺めて居た。
遠くで、飛行機が飛んで居た。

文乃の声は、酷く小さく、細い声だった。
文乃じゃないみたいだった。
文乃は言った。


「お父さん、パイロットだったの」


突然の文乃の声。
窓の外に、夏の始まりの雲。
高広は、実にゆっくりと、静かに答えた。


「……飛行機の?」


文乃は答えなかった。
その代わりに、次の言葉を捜して居るようだった。


「堕ちたの」


文乃は懸命に、言葉を捜して居た。
いや、少し違った。
言葉は知って居るし、手の中に持っては居るのだけれど
発声する方法だけを、忘れてしまったような話し方だった。


「あんまりニュースにはならなかった」


文乃の声は、今すぐ消えてしまっても可笑しくなかった。
実際に、一言一言を紡ぐのに、時間が必要だった。

高広は何も言わなかった。
言葉の意味を追求する事もしなかった。


「飛行機は、嫌い」


文乃が搾り出すように、言った。
文乃の声は、酷く悲しくて、ずっと泣いてるようだった。

静寂。

それからしばらくして、文乃は眠りに就いた。


あの日。
ゴールデンウィークの最期の日。
文乃は突然、飛行機が見たいと言った。

あの日。
ゴールデンウィークの最期の日。
文乃は飛行機を眺めて、楽しそうに笑った。

どんな気持ちだった?




(仕方ないよ、誰にだって、秘密はあるもんね)




文乃の声が、聞こえた気がした。

何もかも解らないままだった。

高広は息を吐き出し

高い天井を眺めると

不甲斐ない自分に、また泣いた。
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