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鉛色のサンデー あとがき



若者における「鉄砲」とは何か。

それは「撃ち放つと面白いもの」に他ならない。
撃ち放つとは、すなわち「したい事をする」事と同義語である。
したい事をすると面白い、というのは、なるほど確かに、道理にかなっている。

一昔前の若者が、深夜に大音量でバイクを乗り回せば面白いと思っていたのも、
夏になると深夜に爆竹やロケット花火を鳴らしたがるのも、ほとんど似たような心理だ。
それは「撃ち放つと面白いもの」であり、面白いからこそ、自分がしたい事をするのである。
そこに理由は必要ない。

ある時の夏の終わりに、高広は「鉄砲」を拾う。
それは「撃ち放つと面白いもの」である。ロケット花火のようなものだ。
ところが高広は、それを撃とうとはせずに、部屋の机の引き出しに閉まったままにする。
そしてこう考える。

「撃とうと思えば、何時でも撃てるのだ」

若者が子供から大人へ成熟していく過程の中で重要なのは「行動の理由を見付ける」事だ。
自分がそうしなければならない理由を見付ける事で、行動に責任が生まれる。

世の大人達は何も「仕事が楽しくて仕方が無い」から、毎日働いているとは限らず、
それでも好きな人が出来て、愛する人が出来て、その生活を守る為に働いていたりする。
愛する人達と生活していくには金が必要であり、そこに「行動の理由」を見付ける人もいるだろう。
その過程の中で責任感が養われるのだ。

高広は考え続ける。
何の為に、誰の為に、それをしなければならないのか。
そう考えた時に、鉛色のサンデーという作品は、ほとんどが自問自答の物語である。

撃ち放てば楽しい事は解っている。
だが撃ち放たなければならないなら理由をくれ、と叫び続ける。
高広は、行動に面白味を求めている訳ではなく、ひたすらに責任感を求めている。
だから高広は、他の同年代の若者と同じように、衝動的な快楽の為に鉄砲を撃ち放たりはしない。

ひたすらに、理由を求めている。
そうして自分が「鉄砲を撃たなければならない理由」を見付けた時に、
初めて高広は自分から行動する。雷雨の中、記憶の踏み切りを越えて、自分から行動するのだ。

だから最終話にほど近い場面で、
高広が「ははっ」と笑う場面は、驚くほど残酷である。
それまで積み重ねてきた理由が崩壊するならば、驚くほど残酷である。
驚くほど残酷ではあるが、あの瞬間に、高広は若者から大人になったのかもしれない。

鉛色のサンデーとは、そういう物語である。
それは完全な幸福でも、完全な不幸でも無い、中間色の物語である。
それは丁度、若者でも、大人でも無い、まだ何者でもない誰かの為の物語であるだろう。
黒と白の絶妙なコントラストから、最終的な回答へ。

そしてまた、何処かで誰かが、あの鉄砲を拾うのだ。
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