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美しき人間の日々



2/21付の読売新聞に「美の画一化 外見を意識」なる記事が載っており、何気なく読んでみたところ、どうやら小学生や中学生の段階で美容整形を望む子供が増えてきているとの事。中々、興味深い記事である。
記事は中学一年生のA子さんが昨年の夏休みに、まぶたを二重にする手術を受けた事から始まり、美容整形外科医の見解と実情、最後は「大人の価値観が子供に刷り込まれているのではないか」と締められている。

美容整形の是非を問いたいワケでは無い。
それは自己責任の範疇にあり、ここで僕が意見する事ではない。
僕が興味を持ったのは最後の「大人の価値観が子供に刷り込まれている」という部分だ。

要するに、大人が「美しい」と信じるモノを、子供は頭から信じてしまうのだ。
誰でも生まれた時から「二重まぶたは美しい」だとか「痩せてる体は美しい」と思っていたワケでは無かろう。
それは先人が決めた時代のルールである。現代であれば、それはメディアの影響を受けたイメージである。

前述の記事の中でも触れられているが、「テレビでは盛んにダイエット番組が流され」、痩せた女性は「綺麗になったね」と褒められ、ティーン向けの女性雑誌では「瞳を大きく見せるメイク」が特集される。流行の服は痩せていなければ着られないモノが多く、それを着てメディアに登場する女性も、当然のように痩せている。

その全てが「我々が決めた時代のルール」=子供達から見た「先人が決めた時代のルール」である。
メディアの影響を受けたイメージである。例として女性を多く取り上げたが、無論、男性も同じである。
男性とて、より美しい(という表現は的確ではないかもしれないが)イメージを、相手に与えたいと考えている。
では「痩せていること」だとか「二重であること」だとか、もしくは「背が高いこと」だとかの外見的イメージを、我々が殊更に追求する事は、はたして正しい事であろうか?

一方では他人の身体的欠陥を「個性である」と認める事さえ出来る我々が、自分の事になると1kg単位の体重に悩んだり、まぶたの形に悩んだり、身長や、頭髪の薄さだとかに悩んだりするのは何故なのか。
それはやはり、それを個性と認めながらも、その個性を望んでいるワケではないからに他ならない。
デブは個性。ハゲは個性。ブサイクは個性。だからと言って望んで自分の個性にしたいワケではなかろう。
出来る事なら美しく、可愛らしく、カッコ良くありたいのだ。

だが、少し待って欲しい。
話が一周するが、では何故、我々はそのように思うのだ?

その方が異性にモテるからである。その通りである。
その方が他人に好印象を持たれる可能性が高いからである。その通りである。
その通りではあるが、何故、その通りになる? それは我々が、イメージを共有しているからに他ならない。
何のイメージか? 誰かが決めた時代のイメージ、現代であれば、メディアの影響を受けたイメージである。
共有したイメージの中から、我々は逸脱する事さえ出来ない。

◆ ◆ ◆

子供向けの【○○レンジャー】といった類のテレビ番組がある。
そこには、世のお母さん達が子供を差し置いて夢中になるイケメン俳優や、可愛い女優が起用される。
子供は自分の母親が夢中になるようなイケメン俳優を見て育ち、可愛い女優に興味を持ったりもするだろう。
別に何も悪くない。

一方で、何十年も昔、【ゴレンジャー】という同じコンセプトの子供向けテレビ番組があった。
筆者はそれをリアルタイムで見た世代ではないが、その後に放映された同系統の番組は、幾つか見た。
それらのコンセプトは大体似ており、例えば赤色はリーダーであるし、青色はサブリーダーである。
(もちろん番組によっては、そうでは無い場合もある)

・赤→正義に燃える熱血漢。
・青→無愛想。冷静。男にモテるタイプ。
・黄→気は優しくて力持ち。体格が良い。デブ。
・桃→女
・緑→地味

そのイメージは大体、上のように分けられていると思う。
重ねて言うが、もちろん番組によっては、そうでは無い場合もあるし、これ以外の色が登場する場合もある。
ここで重要なのは、子供の頃、筆者は彼らを「うわぁ、イケメンだなぁ」と思って見てはいなかった。
無論、筆者の母親も、子供を差し置いて俳優に夢中になるようなマネはしなかった。

現在の【○○レンジャー】に個性が無いと言いたいワケでは無い。個性はあるのだ。
だが、何処か空々しく、何処か寒々しい、張りぼての上に書かれた個性のような気がしてならない。
何故か? 全員カッコイイからだ。申し訳ないが、そんな個性は全然リアルじゃない。

上に挙げた例を見て欲しい。
「緑→地味」である。地味である事が個性なのである。何と残酷な個性であろうか。
当然、筆者の子供時代、この「緑」はバカにされていた。いや、バカにする前に忘れ去られていた。
みんな「赤」や「青」に憧れるので、誰も「緑」の存在など思い出そうとしなかった。
デブの子供は否応ナシに「黄」としての扱いを受け、また本人も「黄」以外を望んではいけなかった。
女の子は「桃」としての扱いを受け、それ以外には選択肢が無かった。

何たる不平等な社会であろうか。
それが正しい社会の姿だとは思わない。思わないが。
何たるリアルな縮図であろうか。

誰もが望めば、望んだ自分になれるワケでは無い。
何処かで妥協し、諦め、受け入れる事で、大人になっていくのであろう。残酷である。
望んでもいないのに「お前は黄色だ」と決め付けられ、その内、本人も「俺は黄色だよな」と受け入れていく。
それが本人の人格になっていくのだ。
選べる余地が少なかったのだ。

◆ ◆ ◆

五人のイケメン俳優と可愛い女優の中から、誰を選ぶ?
「誰になりたい?」と大人が訊く。
子供達は考える。

まぶたを二重にして、化粧を覚え、ファッション雑誌に憧れの服を見付け、痩せ、
大人の期待に応えながら、周囲の子供達と美しさを競う。いや、まぁ、確かに、それも良いのだが。
我々が決めたルール、子供達から見れば先人が決めたルールが、必ずしも正しいとは限らない。
大人を疑ってかかれとは言わないが、信用するに値する大人だらけで無いのは事実だ。

だって読売新聞の、その記事の真下には、
「40代女性。上司と不倫中。彼に数百万円貸してます。別れるべきでしょうか?」
こんな相談記事が載っているんだぜ。

必死で追い求めた「美しさ」が、何処かの誰かが勝手に決めた、本当は意味の無いモノだったとしたら?
虚しいよな、そんなの。大人さえ、本当の美しさを知っている人間は、尊いのだ。
ならば大半の大人が口にする「美しさ」とは、一体何の事なんだ?

美しく在れ、子供達よ。

美しさの本当の意味なんて、僕はよく解らんがね。
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[ 2008/02/22 12:51 ] 雑記 | TB(0) | CM(2)
子供の化粧すら、もったいないと思う。
肌、綺麗なのに(笑)

化粧したり痩せたり、っていう美しさは
ほとんどが誰かの真似だと思う。
そのせいか薄っぺらいなぁと感じる。

やっぱり何かに一生懸命打ち込んでる人は美しい。
素敵、というべきかな。
[ 2008/02/24 23:09 ] [ 編集 ]
痩せてから
フリーサイズの服が
かっこよく着こなせません。

子供の整形はもったいないですね。
私は子供の頃一重でしたが、努力したら二重になりました。整形はしていません。

ああ、文章の全体が言っていることとズレたコメントで失礼しました。
[ 2008/02/24 00:10 ] [ 編集 ]
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