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新聞とバベルな言語



新聞が面白い。
などと言ったら、賢い中学生辺りに「今更?」と返されそうだが、新聞が面白い。
それもスポーツ新聞に見られるようなゴシップを目的とした記事ではなく、真っ当な新聞の記事が面白い。

小学時代から高校時代まで、必ず一人は「新聞好きの教師」というべき人物が存在して、彼らはその日の記事の切り抜きやコピーなどを用意し、それを時には授業の教材とし、また時には教室の掲示板に貼り付けて「各自、読んでおくように」と言ったりもした。彼らは「読書力を身に付けたいならば、毎日、新聞を読めば良い」と言ったが、テレビ欄とスポーツ欄、あとは四コママンガを読めば満足する僕らの読書力が、それで向上したとは言い難い。

新聞など、そこまで面白い読み物ではない、と思ってきた。
何故なら、毎日の最新情報が綴られている以上、それは垂れ流しの情報とも言える。
明日になれば、どうでも良い情報かもしれないのだ。無理をしてまで読む必要はないのではなかろうか。
長年、そう思ってきたのである。

ところが、だ。
ここ最近、新聞は面白い読み物だ、という事が解ってきたような気がする。
そこには経験を積んだ記者達の洗練された文章と、色褪せぬ文化を育んできた各々の哲学がある。
新聞とは、決して「垂れ流しの情報」を伝える媒体、ではないのだ。(無論、そういう役割・側面もあるが)
物事を考えようとする時、そこに新聞が在る。それだけで随分と、世界が広がるのだ。

◆ ◆ ◆

2/22付の読売新聞で面白かったのは「言語を生む本能の謎」と題された記事である。
ある日、一卵性双生児の兄弟の間に、奇妙な言語が生まれている事に、母親が気付く。
それは「テーグー」、「メンノ」という意味不明の言語である。
慌てた母親が「それ何?」と聞くと、兄弟は事も無げに、こう答えた。
「テーグーは"自分でする"」、「メンノは"いけないの"」という意味だよ、と。

【双子語】
極端に省略・変形され、本人達以外には通じなくなってしまった言語。
実はこうした「双子語」現象は、双子を持つ家庭の半数に出現するのだそうだ。
無論、この現象は、近しい距離にいる、濃密な時間を過ごした者同士の間に発生する。

この「言語を生み出す本能」の不思議は、何も幼い双子だけでなく、しばしば若者に見られる現象であろう。
同じ日本語でありながら、老人が使うそれと、女子中学生が使うそれは、似て非なるモノかもしれない。
同じ女子中学生同士でも、一年A組のそれと、三年C組のそれは、似て非なるモノかもしれない。
同じ三年C組でも、ネットをする者と、ネットをしない者との間では、似て非なるモノかもしれない。

我々は自然発生的に、本能的に、言語を生み出しているのだ。
コミュニケーション・ツールとして、何らかを共有する手段として、言語を発達させるのだ。
近しい者同士であればある程、言語は省略・変形され、当人達以外には解らぬモノへと変貌する。
それは何も意図的に変貌されているワケではない。自然発生的に、本能的に、恐らく勝手にそうなるのだ。

1000人が存在して、その1000人に、同じ情報を伝えるには、1000人に向けた共通言語が必要である。
だが、その情報を更に深く伝えたい場合、もしかしたら500人にしか伝わらないかもしれない。
何故なら、そこには「500人しか理解出来ない共通言語」が発生するからである。
(例えばそれは、片方の500人=老人、もう片方の500人=若者、とすれば理解しやすいだろう)

万人へ伝えようとすればするほど、言語は平坦な、フラットなモノになりやすい。
例えば60億人に伝えたいメッセージがあるとすれば、やはり言語はシンプルになるべきである。
それは「戦争反対」であったり「地球を大切に」であったり、場合によっては陳腐な言葉かもしれないのだ。
若者は(特にサブカル好きな若者は)こうした言語を鼻で笑うかもしれないが、しかし。
やはり、そうした言語でなければ、万人には中々伝わらないのだ。

最近の我々には、隣人に向けるような言語を重宝する傾向があるのだと、思う。
そして、自分達にしか伝わらない言語で会話をする事で、悦に浸っている場面も、実際よく目にする。
だが無意識的に、全国的に、若者の間での「双子語」化が進んでいるのだとしたら、最終的には同じ町内でも三丁目と四丁目では、会話が成立しなくなるという事だ。まぁ、そんな事態は想像しにくいが。

コミュニケーション・ツールとしての言語を考えた場合、万人に伝わる表現を、鼻で笑ってはいけない。
言語が細分化する事で得られる、個々の恩恵もあろう。自分達の世界を構築する楽しさもあろう。
だがバベルの塔の昔から、我々は言語を共有できない故に混乱し、対立しているのだよ。

◆ ◆ ◆

世界、というモノを考えた時、その漠然とした概念を覗く手段として、我々にはインターネットがある。
だが、我々が世界に手を触れてみたい時、新聞は優しく手引きをしてくれるだろう。
そう、そこには世界があるのだ。だから最近、改めて思うのだ。
新聞は、面白い。
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[ 2008/02/23 14:15 ] 雑記 | TB(0) | CM(0)
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