VOSTOK8 blog - Astronaut' Monologue TOP  >  スポンサー広告 >  雑記 >  風にマント、揺れる。

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
[ --/--/-- --:-- ] スポンサー広告 | TB(-) | CM(-)

風にマント、揺れる。



ある一定の年代の人達に「ヒーローを描いて」と言うと、かなりの高確率でマントを一緒に描くと思われる。
年代で言うとかなり上の年齢層になるかもしれないが、意外と若者でもマントを描くかもしれない。
少なくとも、ある層では確実に「マント=ヒーロー」の図式が成り立っているのである。

これは往年のアメコミからの影響が色濃いと考えられるが、
実際、アメコミ系キャラクターは「スーパーマン」にせよ「バットマン」にせよ、何故かマントを着込んでいる。
X-MANでいえばマグニートーだってマントを着込んでいるし、ダース・ベーダーだってマントを着込んでいる。
後者の二人は敵側キャラクターであり「ヒーロー」とは呼べないが、ヒーローに対抗する組織の長としては、
一周回って「アンチヒーローとしてのヒーロー」と見る事が可能であろう。

要するに「強そう」だとか「怖そう」だとか、受け手の尊敬と畏怖の対象として、マントが存在している。
マントは高貴の象徴なのだ。(各々が描かれる敵味方の立場は別として)自己の正しさの象徴なのである。
これが同じくアメコミでも、迷いの中で戦い続けるスパイダーマンは、マントを身に付けていないのも面白い。

日本におけるヒーロー像も、最初は「月光仮面」が存在し、彼はマントを身に付けていた。
どう考えてもマントの必要性は感じられないのに、である。身を隠したり、空を飛べる能力がある訳でもない。
なのに彼等がマントを身に付けるのは何故か。それはもう「何となくヒーローっぽく見えるから」に他ならない。

ところが、続く「仮面ライダー」では、このマントは描かれず、代わりに「マフラー」が登場する。
マフラーの意味も、実際はよく解らない。ちょっとしたオシャレという役割でしか機能していない気がする。
しかし、やはりマフラーが存在する事によって「何となくヒーローっぽい」という演出が可能になったのである。

しかし「ウルトラマン」が登場すると、我が国において「マント&マフラー」の存在は、徐々に衰退していく。
マントどころか裸体。シルバー・メタリックな未来形の裸体が、画面を踊るようになったのである。
では「マント=ヒーロー」の公式は無くなったのか? 否、答は否である。

ウルトラマンは空を飛ぶ。
「シュワッチ」と一言、風を切るように空を飛ぶ。実は、これが何より重要だったのである。
それではヒーローを感じさせる要素とは一体、何なのか?

答は「風」である。

風を連想させるモノには、強さと刹那さが存在する。それはヒーローの強さと刹那さにも相通ずるのだ。
例えば一昔前の少年漫画の主人公(もしくはライバル)は、猫も杓子も、前髪が長かった。
これは風を演出する為であろう。風を受け、髪が乱れる。相手の攻撃を受け、前髪が舞っている。
拳を振り上げて「これは○○の分だぁ!」と叫ぶ瞬間には、やはり髪が逆立っている。
戦いに疲れたボクサーはリングサイドで前髪を垂らし、真白な灰になる。

これは全て「風」を感じさせる。何より、その全てがカッコイイではないか。
時に風を受け入れ、また時に逆風に抵抗する、その姿こそがヒーローの正しい姿なのだ。
初代仮面ライダーに至っては、風の力をエネルギーにして変身するという設定すら存在する。
全ては「ヒーロー=風」なのである。
それを初めに、的確に、シンボリックに表現したのが、あのスーパーマンのマントだったに過ぎない。

それでは現在のヒーロー像に、風は存在しているか?
答は疑問である。何よりヒーローを見て育つべき少年達が、風を受けて遊んでいる姿を、あまり見ない。
「子供は風の子」と謳われたのも、今は昔。室内でWiiなどに興じながら、ネットで情報を詰め込みながら、
「ヒーローなんて本当は存在しない」なんて冷めた目で子供が呟いたとしても、無理は無い。
世のママさん達が子供そっちのけで夢中になるイケメン・ヒーローは存在しても。

そこに風が無い限り、本当のヒーローは存在しないのだ。
関連記事
[ 2008/05/17 17:33 ] 雑記 | TB(-) | CM(-)
目次
★説明


★長編小説














★短編






★お笑い








Blog Search
QR CORD
QR


上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。