
雨に染まる砂場。
小さな穴からは轟音と、全てが濡れる風景が見えた。 僕等の青いトンネルも、外から見れば恐らくは、雨に濡れているはずだった。 この長いトンネル状の青い土管は、長さが横に10m以上あり、 中から外が見られるように、等間隔で何個かの小さな穴が空いている。 とは言え、それは本当に小さな穴で、子供の握り拳程度の大きさしか無い。
「痛い?」
僕は何度目かの、同じ質問を繰り返した。 ミチルが首を横に振ったのが、穴から漏れる小さな光越しに見えた。 静かだ。大量の雨が降っているから無音ではないけれど、此処は本当に静かだ。 僕とミチルは身動きもせず、只、この通り雨が過ぎ去るのを待った。
「皆、居なくなっちゃったね」
「雨、降ってるからな」
「じゃ、この隠れんぼ、どうなるの?」
さてね、無効だろ、と言いかけて、 どうしてミチルが隠れんぼに、其処まで固執するのか、僕は気になった。 単に隠れて、単に見付ける。其れだけの遊びだ。暇潰しの、くだらない遊びだ。 そもそも小学六年生にもなって、未だに隠れんぼを続けている僕等の方がオカシイ。
来年の春になれば僕等は中学生になるのだし、 中学生が公園で隠れんぼを楽しんでいる姿なんて、一度も見た事が無い。 多分、大人になれば、もっと楽しい遊びがあるんだと思う。 隠れんぼなんて、子供の暇潰しだ。 単に隠れて、単に見付ける。其れだけの遊びだ。暇潰しの、くだらない遊びだ。
「お前は見付かりたいのか?其れとも見付かりたくないのか?」
僕の声は真っ暗な土管の中に、行き場を失くしたように響いた。
ミチルは隠れんぼが苦手だった。其のくせ見付かりにくい場所に隠れる癖があった。 何時も一番最後に見付かるのがミチルで、其のままずっと見付からない時もあった。 最後まで見付からない隠れんぼなんて、楽しいか?
「見付かりたいよ」
雨音が聞こえる。
時折、小さな穴から雨粒が入ってくる。
寒くは無い。だって此処はそういう場所なんだから。
「じゃ、自分から出て行けば?」
どうして膝を擦り剥いた時、此処を出ようとしなかった?
最初に僕が手を引いた時、外に出る事を拒んだ?
あの時、すぐに二人で外に出ていたら?
「こんな場所に閉じ込められずに済んだのに」
意地悪な言い方をした。
僕が此処に居るのは、何もミチルが悪い訳じゃない。 あの時、膝を切ったミチルは、すぐには動けそうになかった。 放っておいても良かったのに、僕は自分から、此処に残ったんだ。其れはそうなのだけれど。 本当ならば今頃は、家で甘いお菓子でも食べていたかもしれないし、 部屋の窓から呑気に雨を、テレビでも観るように眺めていたかもしれないのに。
「上手に隠れたら、捜してくれるから」
ミチルが言った。
「何だよ、それ」
「捜してくれたら、何時かは見付けてくれるから」
「何だよ、それ」
小さな穴から届く細い光が、ミチルの影を部分的になぞっていた。
雨音は弱まりもせず、むしろ更に強さを増そうとしていた。
否、これは通り雨で、すぐに止むはずの雨だった。
「そんなの、誰が決めたんだよ」
僕の言葉はミチルに対してなのか、其れとも僕の思考に対してなのか。
自分でも解らない。止まない雨が無いのなら、終わらない隠れんぼだって無い。 隠れんぼがずっと終わらないなんて、世界はそんな風には出来ていないんだ。 大人は皆、そう言うし、大人は皆、其れを知っているようだった。
だのに僕は、この時、まるで釈然としていなかった。
「……ずっと見付からなかったら、どうすんだよ?」
「え?」
「……お前、最後まで見付からなかった時、何回もあるじゃんかよ?」
僕は意地悪だった。苛々していた。
止まない雨はミチルが悪い訳じゃないけれど、終わらない隠れんぼは。
「お前の隠れんぼは、見付からなかったら終わりじゃないのかよ?」
見付けられたいのに。
誰かが捜してくれるのを待っているのに、自分からは出て行かないなんて、
「何考えてんだよ、お前?」
「だからね……」
「え?」
瞬間、雷鳴が聞こえた。ずっと遠くの方だ。
母親が心配しているかもしれない。この時間、家には誰もいないけれど。
「ずっと終わらないんだ、隠れんぼ」
ミチルは両手で膝を抱えて、体育座りの姿勢のままで、小さな穴を眺めていた。 其れ以上、僕も何かを言う事を止めた。ミチルの隣に座り、只、小さな穴を眺めた。 ブランコの前に、大きな水溜りが生まれていた。 大きな水溜りから溢れた水が、道筋を作り、また小さな水溜りを生んでいた。
砂場は、只、水を吸い、黒く染まる。
滑り台の金属板は、只、水を流し、白く光る。
僕等の住む団地が、雨の向こう、ずっと向こうに見える。
「……親、心配してるんじゃないのか」
「……誰の?」
「お前の」
雷が遠くで鳴った。
ミチルが怪我していなければ、今すぐ此処を出て、今すぐ走って帰るのに。
「そっちの親は?」
「ウチの?」
「うん」
ミチルの声は小さくて、雨音に隠れて、随分と聞こえにくかった。
だから僕は出来るだけ、其の声を聞き逃さないようにした。
もしかしたら何個かは、もう聞き逃しているのかも。
「パート先の青果コーナーで、洗濯物の心配くらいはしてるかも」
「家に居ないの?」
「居ないよ、土曜日のこの時間は。別に変わった事じゃないだろ」
「……そ」
雨が止むのを待ちながら、僕等は少しずつ、自分達の事を話した。
団地の事。修学旅行の事。来年、中学生になる事。
最初はゆっくりと。小さな声で。雨が止むまでの暇潰し。
毎日、同じ学校にいるのに、こんなにミチルと話したのは初めてだった。
「部活、入るの?」
「さ、どうだろうな、面倒くさそう」
「私は手芸部に入りたい。バトミントン部も良いな」
「中学校に、手芸部なんてあんのか」
「どうだろう」
田舎の中学校ならあるかもね、とミチルは付け加えた。
「田舎?」
「私が行く中学校は、皆とは違う町だから」
「何で?」
ミチルが一瞬、困ったような顔をして、其れから不意に笑った。
其れは初めて見た、ミチルの笑い顔だった。
そして、また遠くで、雷。
「お婆ちゃん、もうあんまり長く無いからさ」
「何それ」
「お婆ちゃんと住んでるのよ、私、知らなかった?」
知らない、という台詞を飲み込んだ。別に飲み込む理由は無い。 だけれど僕は飲み込んだ。ミチルの言葉の意味も、よく解らなかった。 何故、お婆ちゃんと住んでいると、別々の中学校に通わなければならなくなる?
「ううん、おばあちゃんとも住めなくなる、が正解かな」
「何それ」
「私が手芸部に入りたい理由」
ミチルは笑った。声を出さずに笑った。
声を出していたかもしれないけれど、雨音で聞こえなかった。
笑った後で、膝を抱えたまま泣いた。僕に顔を見せないようにして泣いた。
「……同じ中学校に行く方法、無いのかよ」
無い。自分で言いながら解っている。
ミチルと僕が、同じ中学校に通う方法は無い。
何故なら僕等が子供だからだ。僕等が大人じゃないからだ。
そして子供ながらに解っている。ミチルがお婆ちゃんと住んでいる理由も。
只、何となく。
ミチルは隠れんぼが苦手だった。其のくせ見付かりにくい場所に隠れる癖があった。 何時も一番最後に見付かるのがミチルで、其のままずっと見付からない時もあった。 最後まで見付からない隠れんぼなんて、楽しいか?
否、ミチルは見付けられたくなかった訳じゃない。
見付けて欲しかった。だから上手に隠れた。捜して欲しかったから。
そしてミチルは、今すぐ見付けて欲しいと願いながら、見付かる事を恐れていた。 自分の存在を知られる事を、極端に恐れていた。そしてまた、奥深くに隠れていたのだ。
ミチルは、自分の通う中学校に関して、もう何も言わなかった。
青いトンネルの中で、雨音だけが止もうとはしなかった。
僕は何も出来ずに、只、小さな穴を眺めていた。
「あ……」
遠くから、人影。フタツの人影。
水溜りを撥ねながら、此方に向かって来る。
「何?」
「誰か来た」
「誰?」
学生服を着ている。
男女。
中学生か、高校生。
恐らく、此処に向かっている。
二人の男女は手を繋ぎ、雨を避けるように走って来る。
「ミチル、声を出すな」
「え?」
「静かに!」
何だかよく解らないけれど、僕等は身を潜めた。
見付かってはいけない気がした。
多分、其れは、きっと。
まだ僕等が、隠れんぼの途中だったから。