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Fish Alive

今日は濡れたスニーカーも、明日の朝には乾くだろう。

履く靴ならば他にもあるし、一日くらい歩けなくても不自由はない。
食材ならば冷蔵庫の中に充分に詰まっているし、煙草ならばとっくに止めた。
退屈ならばネット上に散乱する素人の投稿動画でも眺めていれば、一日が終わる。

僕のスニーカーが濡れたくらいで、誰かの生活に大きな支障はないし、
日本経済新聞の記事が書き換えられることも無い。
世界情勢は大きく変わったりしない。

妙に再生回数ばかりが多い移り気な音楽動画を眺めている途中で、
僕は不意にトイレへと席を立ち、其処で気が付いた。
電球が切れている。

其れで僕は結局のところ、
濡れたスニーカーの代わりに古ぼけたサンダルを履いて、
家から少し離れた、大きなホーム・センターにやって来たという訳だ。

ワンルーム・アパートの、規模に似合わぬ広めのトイレは、
若干おかしな形状の電球を使用しており、近所のコンビニでは売られていない。
其れで僕は、家から少し離れた、大きなホーム・センターに、わざわざやって来たという訳だ。

閉店一時間前のホーム・センターは、人が少なかった。
有線から、オルゴール調のロックンロールが流れていた。
何処からか、ゴムの匂いがした。

僕は意味もなく、妙に大きな買い物カゴを手に取ると、
電球のコーナーには真っ直ぐ進まず、何となく木材のコーナーへ歩いた。

木材のコーナーを歩いて、大小様々なネジを眺め、電動ドリルを手に取り、
何重にも巻かれた青いホースの値段を見ていたら、やがて家電のコーナーへ辿り着いた。

まるで買う予定の無いオーブン・レンジの機能を一通り確かめながら、
横に並べられた真っ白なホーム・ベーカリーを手に取り、大きさと重さを確かめる。
せっかくならば2斤くらい焼ける方が便利な気がするが、一人身ならば1.5斤で充分だろう。


「料理する人だっけ?」


不意に、聞き覚えのある声。
しかし、軽く記憶を掘り出す必要がある程度に、
深い場所に存在しているはずの声が聞こえた。

僕は振り返った。


「料理教室にでも通うのかな?」


カスミが、立っていた。
カスミは妙に大きな買い物カゴを片手に、
ほとんど当たり前のように、其処に立っていた。

「料理するよ」

「へぇ、意外」

「自炊程度だけどね」

「へぇ、自炊」

相手をからかうような感嘆符で驚いてみせながら、
カスミは口元だけで笑った。

「ひさしぶり」

「ひさしぶり」

「何年ぶり?」

「第一次安倍内閣ぶり」

ホーム・ベーカリーの隣に並べられた、
電気ケトルの群れに目を移すと、
様々な色と形が存在した。

電気ケトルは安価で便利だ。
もしも安易で急速な熱の上昇を期待するならば。

「何してるんだよ、こんな場所で」

「買い物してるんだよ」

「だろうな」

カスミが手にする大きな買い物カゴには
数枚の小さな板と、紐と、水性ニスの缶が入っていた。

「何するんだよ、そんなの買って」

「売り物つくるんだよ」

「何だ、それ」

店内に流れるオルゴール調のロックンロールをよく聴くと、
ガンズ・アンド・ローゼズのウェルカム・トゥ・ザ・ジャングルだった。
人は少なく、ほとんど無人で、何処からかゴム底の靴が歩く音が響いていた。
店内の空気は、穏やかだった。

「それで? 君は? 何してんの?」

「ん?」

「今も売れない小説、書いてんの?」

「はっは」

ゴム底の粘着質な音が遠くなると、
其の隙間からレジを打つ電子音が聞こえた。

最後の記憶に残っているカスミの髪は、
長かったのか、短かったのか。
忘れてしまった。

少なくとも僕等が出逢った頃は、
カスミの真っ直ぐで長い髪が印象的だった。
其れがフとした瞬間、風に揺れるのが好きだった。

ところが僕等が別れる頃は、
髪の長さどころか、カスミの表情一つ思い出せない。
何を話して、何処を歩き、何を着て、何を感じていたのだろう。

「書いてないよ」

僕が言うと、カスミは一瞬、変な顔をした。
ハンバーガーの中のピクルスに気付いたような顔だった。
其れも事前に「抜いて欲しい」と、きちんと注文しておいたピクルスに。

「いつから?」

「え?」

「どうして?」

「ああ、売れない小説だからさ」

言い終わる前に、僕は笑った。
カスミの台詞を自嘲気味に繰り返した訳ではなく、
実に単純に、カスミの発言が事実だったから、僕は笑った。

「へぇ、」

カスミは電気ケトルの価格を眺め、指でなぞり、呟いた。
静かに歩き出し、文房具のコーナーへ向かった。
何故だか自然と、僕はカスミの後を追った。
途中でトイレの電球を見付け、買い物カゴに放り込んだ。

一面に並んだボールペンの前で、カスミは立ち止まった。

「ボールペン売場、好きだな」

「飽きないからな」

「何時間でも見ていられるな」

「其れはどうかな」

僕とカスミは、どうして別れたのか。
最終的な理由さえ、もう思い出せない。

どうせ些細な理由だった、とは思わない。
恐らく、当時の僕等にとって、其れは何よりも重要だった。

何も見えず、何も感じず、何も知らない。
例えば泥濘の奥底から、光の存在を信じることが出来るか。
何かを叶え、何かは報われ、何かが救われるような。
恐らくは、其のような。

「三色ボールペンは便利なんだよ」

「知ってる」

「だけれど結局、一色ずつを三本、持っちゃうんだ」

「知ってる」

三色ボールペンを上手に使いこなせるような、利口な生き方をしてみたい。
どれか一色を失くしたら、まるで使い道を失ってしまう。
使い道を失ったら、まだ二色を残したままで、僕は捨てるだろう。

いや、捨てることさえ出来ずに、何時までも机の中で持て余す。
何時か使える日が来るのを待っている。
そんな日は、何時まで待っていても、来ることはないのだけれど。

「自分の好きな色があれば、充分だけどね」

あの頃、僕が失くした色は、何だったのか。
其れすら思い出せないまま、好きな色も、嫌いな色も忘れた。
何かに夢中になっていた気もするが、単なる流行の熱病だった気もする。

「好きな色?」

今日は濡れたスニーカーも、明日の朝には乾くだろう。

履く靴ならば他にもあるし、一日くらい歩けなくても不自由はない。
食材ならば冷蔵庫の中に充分に詰まっているし、煙草ならばとっくに止めた。
退屈ならばネット上に散乱する素人の投稿動画でも眺めていれば、一日が終わる。

僕のスニーカーが濡れたくらいで、誰かの生活に大きな支障はないし、
日本経済新聞の記事が書き換えられることも無い。
世界情勢は大きく変わったりしない。

「君は? 今でも好きなの?」

「何が?」

「あの色、好きなの?」

オルゴール調のロックンロールが、
ほとんど冗談みたいに、店内に流れ続けていた。

其れがビートルズでも、ローリング・ストーンズでも、
ヤードバーズでも、ボブ・ディランでも、ジミ・ヘンドリックスでも、
例えば仮に、チャック・ベリーだとしても、ほとんど冗談みたいだった。

真っ白で広く、高い天井。
規則正しく陳列された、大量の商品。
ゴムの匂い。粘着質な靴音。レジを打つ電子音。

「忘れたよ、いや、思い出せない、に近い」

カスミは、救われたのだろうか。

何も見えず、何も感じず、何も知らない。
例えば泥濘の奥底から、光の存在を信じようとして、
幼い僕等が、幼い理由を抱えて、幼いまま別れたのだとして。

何かを叶え、何かは報われ、何かが救われるような。
恐らくは、其のような。

「へぇ、」

黒のボールペンを一本、カゴに入れると、カスミは歩き始めた。
日用品のコーナーを通り過ぎ、家具のコーナーを通り過ぎ、
極彩色のカーペットの前を歩く間、僕等は無言だった。

「わたしさ」

「え?」

「今、もくせいざっか、作ってるんだよね」

急にカスミが話し出したので、聞き逃した。

「もくせいざっか?」

同じ単語を、外国語の授業のように唱える。
カスミは此方を振り向きもせず、歩きながら言った。

「そ、手作りのね」

僕等は一直線に歩いていたが、
行き先を知っているのはカスミだけだった。
僕等が進む方向は、少し薄暗く、狭い場所に見えた。

「手作り?」

「そ、意外と評判良いのよ」

「今、どんなのを作ってるんだ?」

単語の意味も解らぬまま、僕は質問した。
カスミは相変わらず、此方を振り向きもせずに、続けた。

「そうね、例えばタオル掛けとか」

「タオル掛け?」

「あとは、ブックスタンドとか、コーヒートレイとか」

「それから?」

「定番だけど、小箱とか」

「なるほど!」

思わず出た声が、店内に小さく響いた。
カスミが無表情で振り返る。
すぐに向き直る。

「木製雑貨?」

「そ、木製雑貨」

「そうか、それは、良いな」

カスミは僕の感想に対して、特に何も言わなかった。
向き直ったまま、表情も見えなかった。
代わりに、こう言った。

「サカナ、好き?」

僕等が一直線に進んだ先は、天井の照明が消えていた。
其の代わりに、ぼんやりとした青色の光が見えた。
最後に僕等はペット・コーナーへ歩いた。

まるで小さな水族館のようだった。
青色の光の中で、無数のサカナが泳いでいた。
他には誰も居なかった。

二人きりの暗い光の中で、
僕は少しだけ緊張している自分に気付いた。

カスミと水族館に行ったことはあっただろうか。
思い出せなかった。
沢山のことを、随分と忘れてしまった気がした。

いや、忘れてしまった気がするだけで、
やはり全ての記憶は、過去は、今も其のまま存在して、
ただ、其れに触れる方法を、思い出せなくなっただけのような気がする。

サカナが泳いでいた。
水面を揺らしながら、滑らかに動いていた。
まるで動いていないようだった。

酸素。
呼吸。
モーター音。

「好きだよ」

「え?」

「サカナ。好きかって」

「ああ、うん」

止まりながら、しかし動いている。
何の目的も無く、意図も無く、理由も忘れ、しかし動いている。
水の動きと共に、ほとんど自動的に、流されるままに、しかし能動的に。



「キャリコ、元気かな?」



カスミが言った。
瞬間、僕の記憶の奥底から。
其れは豪快な飛沫を上げて、引き揚げられた。

キャリコ。
僕等が飼っていた、金魚。

ある日、キャリコは逃げた。
小さな水槽から、大きな海へと。

いや、もっと単純だった。
小さな水槽の水を交換する時に、
急に飛び跳ねて、呆気なく水道管に流れた。

目の前で起きた、其の数秒を、僕は眺めていた。
小さな水槽を支えた手では、ただ眺めるしか出来なかった。

キャリコが消えて、カスミは泣いた。

数日間、寝て、起きて、泣いた。
食事をして、風呂に入り、少し笑って、また泣いた。
僕等の関係性も、キャリコの重さと同じ分、おかしくなった。

カスミは、僕を責めなかった。

キャリコを水道管に流したことを責めなかった。
自分一人では何も出来ない僕を責めなかった。
叶わぬ夢を大義名分にして暮らすことを責めなかった。
そうして半年後、僕の元を離れていった。

僕は、僕自身を、責めたのだろうか。

僕とカスミは、どうして別れたのか。
最終的な理由さえ、もう思い出せない。

どうせ些細な理由だった、とは思わない。
恐らく、当時の僕等にとって、其れは何よりも重要だった。

何も見えず、何も感じず、何も知らない。
例えば泥濘の奥底から、光の存在を信じることが出来るか。
何かを叶え、何かは報われ、何かが救われるような。
恐らくは、其のような。

「わたしね、」

「ん?」

「キャリコの色、好きだったんだ」

極彩色。
白、黒、オレンジ。
三色模様のキャリコ。

僕もだ。
僕も大好きだった。

せめて一色。
手元に残しておきたかった。
其れさえ出来ずに、好きな色さえ忘れた。

あの日、キャリコは水に流れ、
地球の何処かへ消えてしまった。
何処へ行ったしまったのかは解らない。

「それでね、」

「うん」

「ずっとキャリコに会いたかったんだ」

キャリコの水は蒸発し、大気を駆けて、雲になり、
雨を降らせ、雪を降らせ、土に浸み込み、
やがて草木を育てるのだろう。

――綺麗事だ。
こんな戯言は綺麗事かもしれない。
それで僕は、まるで馬鹿らしくなったのではなかったか。
何かを誤魔化すように、失敗を綺麗な言葉で飾り立てることを。

「それで? 君は? 何してんの?」

「ん?」

「今も売れない小説、書いてんの?」

モーター音が、静寂を震わせていた。
暗い光の中で、僕も、カスミも、動かなかった。
透明のサカナだけが、止まったまま、まだ泳いでいた。

「わからない」

今日は濡れたスニーカーも、明日の朝には乾くだろう。

履く靴ならば他にもあるし、一日くらい歩けなくても不自由はない。
食材ならば冷蔵庫の中に充分に詰まっているし、煙草ならばとっくに止めた。
退屈ならばネット上に散乱する素人の投稿動画でも眺めていれば、一日が終わる。

僕のスニーカーが濡れたくらいで、誰かの生活に大きな支障はないし、
日本経済新聞の記事が書き換えられることも無い。
世界情勢は大きく変わったりしない。

しかし、キャリコは消えた。
其れが僕とカスミの関係性を、大きく変えたことは事実だ。
世界中、僕とカスミ以外の人達にとって、まるで支障の無い出来事かもしれないが。

「書きたい、とは思う」

「へぇ、初耳」

「会いたい、とも思う」

小さな水槽を、世界の全てと信じて。
悠々と、自由自在に泳ぐ、極彩色の、キャリコ。

たった一色。
真っ白な紙に、絵の具を垂らすように。

「オレンジ色」

「え?」

「僕はキャリコの、あの色が好きだった」

僕等は幼かった。
逃げることも出来ず、受け入れることも出来ず。
思い出すことも出来ず、忘れ去ることも出来ず。

数秒間、世界が止まってしまったのかと思った。
粘着質なゴム底の足音が聞こえた。
モーター音が大きく響いた。

「それに」

「うん」

「売れない小説は、あまり書きたくないよ」

カスミが、笑った。

電子音。
ゴムの匂い。
オルゴール調のロックンロール。

妙に大きな買い物カゴを互いに抱えたまま、
僕等はペット・コーナーを出た。
真っ直ぐにレジへ向かい、清算を済ませた。

「電球、買っただけ?」

買い物袋を広げながら、カスミが言った。

「そうだね、電球、買っただけ」

何となく、僕等は笑った。

其れから出口へ二人で歩き、
自動ドアが開くと、自然と左右へ分かれた。
最後に互いの目を見たけれど、もう声はかけなかった。

このまま僕は家へ帰り、トイレの電球を交換するだろう。
退屈ならば素人の投稿動画でも眺めていれば、一日も終わるだろう。
食材ならば冷蔵庫の中に充分に詰まっているし、煙草ならばとっくに止めた。

何の事件性もなく、何の話題性もない、特別なこと。








ああ、水飛沫の音が聞こえる。








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