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ボクラが残したコトバ 最終話『残』

日記が残っていた。



あの日老女に渡された日記。

愛した女が付けていた日記。

そう

最後の日まで。



日記が残っていた。



数冊。



そっと

ページを捲る。

中途半端なページ。

実に何気無い

或る日の日記。






ページを捲っていく。






其処には女の日常が在った。

確実に息をして生きていた。

懐かしい女の文字と

懐かしい女の息吹が

広がった。












日記が、残っていた。






















icon-last.jpg
最終話 『残』






















10月18日 雨

今日も雨。最近雨ばっかり。

今日は彼の部屋に寄って一緒にテレビを見た。

夕食は彼の部屋でパスタ。

でもちょっと茹ですぎたなぁ、あのパスタ。





10月19日 雨

仕事が休みなので昼から彼の部屋へ。

行く前にビデオ屋で「グランブルー」を借りる。

部屋に着くと彼は予想通りまだ寝てた。

彼を起こして一緒に「グランブルー」を観る。

彼に感想を訊くと「スゴかったね」としか言わなかった。

アレは絶対途中から寝てたと思う。もう。

そういえば今年は海に行かなかったなぁ。





10月20日 晴れ

今日は少し暖かかったので仕事は楽だった。

でももうすぐ冬だなぁ。

今年はコートを買おう。

白いダッフルコートが欲しいなぁ。





10月21日 曇り

彼と一緒にビデオ屋に行って「グランブルー」を返却。

でもコレ、彼ちゃんと観たのかなぁ。

今度は彼の希望で「酔拳」を借りた。うーん。

明日一緒に観るけど面白いのかしら。大丈夫かなぁ。

彼は本当にめったに外に出ないから

こうしてたまに一緒に歩くのは、とても楽しい。





10月22日 雨

今日は「酔拳」が思いのほか面白かった。

彼は子供の頃にテレビで観た事があったらしい。

子供の頃かぁ・・・と、フと思った。

私には「子供の頃」というのが在ったのだろうか。





10日23日 晴れのち曇り

今日は外で撮影のお仕事だった。

最初は晴れてたけど途中から寒くなった。

仕事帰りに彼の家に行くと寝てたので

布団に入って一緒に少しだけ寝た。

暖かいのは、好き。





10月24日 曇り

驚いた!

彼が今度の休みに出かけようと言った!

嬉しい!何処に行こうか?どうしよう?

せっかくの外出だから色んな事したいなぁ・・・

でも彼が突然こんな事言い出すなんて

当日は雪でも降るんじゃないかなぁ?





10月25日 曇り時々晴れ

当日の予定を考えよう。

秋だし、美術館なんか行きたいな。

今は確かルネサンスをテーマに展覧してたはず。

ルネサンスは好きだな。

教会とか行ってみたい。

ミケランジェロの綺麗で壮大な宗教画。

ああいう絵ってどうやって天井に描いたのかな。

それから雑誌に載ってた喫茶店に行こう。

紅茶がすごく美味しいの。

それからそれから・・・

普段は人に撮られてばかりだから

たまには写真を沢山撮りたいなぁ。





10月26日 晴れ

今日はパスタが美味しくできた。

彼も美味しいって何度も言った。

それだけで十分な日。





10月27日 曇り

仕事は外での撮影だった。

今日はかなり寒かったなぁ。

いよいよ明日は彼と外出だ。

お願いだから雨なんか降らないでね。





10月28日 初雪

今日の事は一生忘れないと思う。

一緒に美術館に行った。

美味しい紅茶も飲んだ。

沢山一緒に写真も撮った。

それから

雪が降ってきた。



綺麗だったなぁ。



手を繋いで歩いたのは久し振り。

あまり外に出ないもんね。



彼と2人で過ごす最初の冬。

これからもしっかり暖め合おうね。

これからもしっかり暖めるからね。



初雪を一緒に見られたことが嬉しい。



毎年、初雪は彼と見たい。



例えばどうしようもない理由で



彼と離れ離れになったとしても。




















不意に

ペ-ジを捲る手を止める。

立ち上がると台所へ向かう。

湯を沸かしティーカップを用意する。



熱い紅茶。



再び日記の元へ戻る。

そっと

ページを捲る。




















12月24日 大雪

クリスマスイブ。

彼と2人で「シチリア」に行った。

あの店はチーズのリゾットが美味しい。

あの店は彼が最初に見つけたんだよなぁ。



食事の後は彼の部屋へ。

途中で雪が降ってきた。

今年の一番の大雪かも。

窓際で雪を見てたら彼が突然後から抱き締めてきた。

とてもドキドキした。



このドキドキは、生きてる証なんだろうなぁ。

彼と、私が作っていく、ドキドキなんだ。

ずっと一緒にドキドキしていけたら良いなぁ。



ずっと、ずっと、ずっと。



ね。



メリークリスマス。





12月25日 雪

事務所で今後の打ち合わせ。

明後日の撮影が今年最後の仕事になるはず。

来年は大々的なショーの予定があるらしい。



帰りにビデオ屋で「ローマの休日」を借りる。

これ観るのってもう何回目だっけなぁ。

この映画のヘップバーンは何度観ても大好き。



だけど彼はあまり興味なさそう。

やっぱり彼にはジャッキーチェンなのかなぁ。





12月26日 晴れ

彼の家に行くと熱心に

ロックバンドのライブ番組を観てた。

私はよく知らないバンドだったけど。

何だかとても熱心に観てた。

彼は、今も、音楽が大好きなんだ。





12月27日 晴れ少し雪

仕事納めは携帯電話の広告撮影。

公園での撮影の途端に雪が降ってきた。

すぐに止んだけど寒かったなぁ。

今年も1年お疲れ様でした。





12月28日 晴れ

彼とビデオ屋で「ローマの休日」を返却。

今度は彼の番なので何を選ぶのかなぁと

黙って見てたら「酔拳2」を持ってきた。



この間見たばかりじゃないと彼に言ったら

全然違うと言うのでよく見ると「酔拳2」だった。

明日一緒に見るけど、面白いのかなぁ。

ちょっと不安。





12月29日 雪

「酔拳2」面白かった。

なんだかスゴイ負けた気分。





12月30日 大雪

あと一回寝ると終わり。

今年は色んな事があったよ。



自分が今こうしているなんて

1年前の今頃は思ってなかった。

そして同じように

1年後の今頃は何を思ってるんだろう。



大好きなモノを同じように大好きでいたい。

大切な事を同じように大切にできたら良い。



大切な暖かい腕の中で。

大好きな彼と共に眠る。

私は夢を見る。

夢が覚めたら。



そうしたら



本当の私は何をするんだろう。




















ページを捲る。

白い紙が続く。

其処で終わっていた。



視線を傍に送る。

数冊の日記。

未読の日記。



橙色の日記に手を伸ばす。



白い紙を、ハラリと、捲った。



















1月29日 曇り

今日は駅前で撮影のお仕事。

やっぱりすごい寒かったなぁ。

彼の部屋も寒い。だけど暖かい。





1月30日 曇りのち雪

仕事帰りに彼の家に行った。

今日はオムライスを作った。

ソースにかなり凝ってみた。

なのに彼は普通に食べてたなぁ。





1月31日 曇り

今年になってもう1ヶ月。

何だか年を取る毎に早いなぁ。

1日1日をもっと大切にしなくちゃ。





2月1日 雪

雪の降る寒い部屋で

体を重ね合う私達は

こうして互いの日常を

積み重ね合うのだろう。




















突然

湯の沸いた事を知らせる

甲高い音が部屋に響いた。



日記を置くと立ち上がり

ティーカップに湯を注ぐ。



棚から紅茶の葉を取り出す。



窓の外を見る。



雪が降っていた。



実に淡い雪。



熱い紅茶を煎れる。



再び日記の元へ戻る。



そっと



ページを捲る。




















3月9日 雪

今日は音楽を聴いていた。

何故かそんな気分だった。

借りてきたCDはとても良い。

彼にも聴かせてあげたいなぁ。





3月10日 曇り

昨日の曲をMDに入れて彼に聴かせた。

彼が好きそうだった曲だと思ったから。

聴き終わると彼は黙ってキスしてきた。

ねぇ、今でも音楽、好き?





3月11日 晴れのち雪

少しずつ雪が溶けてきたね。

でも時々こうして雪が降る。

すぐに溶ける雪で道路は汚れる。

それでもやっぱり、雪は綺麗だなぁ。





3月12日 晴れ

事務所で打ち合わせ。

毎日同じような生活。

最近は刺激が少ないな。

安定と変化を繰り返す。

だとしたらきっと今の私は

安定しているんだろうなぁ。





3月13日 曇り

明日はホワイトディ。

明日は早めに仕事を終えて彼と会う。

何かしたい事ある?と訊かれたので

海外へ旅行がしたいと冗談で言った。

彼は少し困ったような顔をしながら

外食しに行こうかと言い本を広げた。



様々な海外の料理を出すお店。

とても素敵な写真が載っていた。

明日は2人でそこに行く事に決定。

今からとても楽しみだね。





3月14日 小雪

仕事帰りに待ち合わせて

小雪が降る中を彼と歩いた。

ホワイトディ。

薄い雪の向こうに見えた店の灯りは

異国のような雰囲気で不思議だったなぁ。



海外の様々な料理を出すお店。

ちょっとした旅行気分になれるね。

お店の外観は何となく東南アジア風で

だけど西洋風のような整然さもあって。

流れてた音楽はよくわからないけれど

きっと何処の国の音楽でも無い気がした。

不思議な感覚だったなぁ。



それから不思議な感覚といえばもうひとつ。



テーブルに料理を運んでる女の子が

1人だけ何故かとても気になったなぁ。

別にその子と目が合った訳でも無いし

彼も気にも留めていないと思うけれど。

何だか私が居るような気がしたのかな。

何処となく似てるような気がしたんだ。

よくわからないけれど、不思議な感覚。



安定と変化について考えた。

料理はとても美味しかった。





3月15日 晴れ

前に話が出ていたショーの詳しい内容を聞いた。

ミラノの新鋭デザイナーのファッションショー。

日取りは4月30日、あと一ヶ月と少し。



ショーの仕事は久し振り。

ウォーキングは苦手だなぁ。

でもミラノのショーなら絶対に出たい。



頑張ろう。





3月16日 曇り

久々の大きなファッションショーなので

皆も気合が入ってるのかな。

昨日の今日なのに活気が違うのがわかる。

ウォーキングのレッスンにも力が入った。

でもやっぱり苦手だなぁ。





3月17日 晴れ

夕方から事務所で話し合い。

それまで時間があったので買い物をした。

春物の新作や新譜が出てた。

白いダッフルコートを見つけた。

今年の冬は買おうと思ってたのに

気が付くと買わずに終わってたなぁ。

白いダッフルコートは安くなってた。



買っちゃおうかなぁ・・・

なんて考えながらブラブラして

気が付いたら彼の下着を買っていた。



最近ゆっくり会えないね。





3月18日 晴れのち曇り



噂のミラノの新鋭デザイナーに会った。

今回は実際の会場の下見と

より綿密な打ち合わせの為に来たらしい。

ずっと男性だと思ってたけど女性だった。

背筋がピンと伸びてるような感じの女性。

なんだか見ててカッコイイ。



明日はやっと休みだよ。





3月19日 雪

今日は久々の休みなので午前中から彼の部屋。

ソフィア・ローレンの「ひまわり」を一緒に観る。

あの画面一杯のひまわりが咲き乱れる場面が

全ての始まりと終わりを象徴的に表していたと思う。

ねぇ、愛って何だろうねぇ。

最近は仕事をかなり頑張っていたので

彼とゆっくり過ごすのは久し振りだった。



こういう日、決まって彼は激しく私を求める。

それが単に久々に抱き合うからなのか

それとももっと違う理由なのかはわからないけど。

満ちてくれれば良い。

それで彼が。




















日記を置き紅茶に手を伸ばす。



外を見ると雪は止み



晴れ間が覗いている。



紅茶を緩く一口流し込むと



再び日記に目を落とした。




















3月26日 曇り

少しノドが痛い。

風邪でもひいたかな。

仕事を早めに切り上げて彼の家へ。



カレーを作った。

でもジャガイモ買うのをすっかり忘れてた。

彼は何も言わず美味しそうに食べてたけど

お代わりの声は最後まで出なかった。



ジャガイモ無しカレーは人気も無し。





3月27日 晴れ

彼の家に行くと昨日のカレーが残っていた。

パスタと絡ませて食べてみた。

これが意外にも美味しかった。

ジャガイモを入れなかった甲斐があったね。





3月28日 曇り時々晴れ

彼の部屋でギターを見てた。

彼はずっとテレビを見てた。



少し触ってみると音がした。

彼自身はもうどのくらい触ってないのだろう。



彼はずっとテレビを見てた。

彼の大好きだったロックバンドの姿を。





3月29日 雨

雨が降ってきた。

残ってた雪が一気に溶けるかも。



まだノドが痛い。

咳が止まらない。

早く治さないと。




















突然



大きな音が響いた。



屋根から



溶けた雪が落ちた。




















4月9日 雨

今日は散々だった。

ウォーキングのレッスン中に

突然目眩がして倒れてしまった。

皆に介抱されて心配されてしまった。

早めに切り上げてきた。



貧血かな。

まだ咳も止まらない。

頑張りすぎて体調が崩れたままみたい。





4月10日 曇り

事務所に行くと皆に心配された。

顔色が悪いって言われたけどそうかなぁ。





4月11日 曇り時々雨

久々のショーだからと思って

最初に少し頑張りすぎたんだと思う。

少し休んだ方が良いのかなとも思ったけど

でも今回だけはそうはいかないよね。



あのカッコイイ女の人。

ミラノのデザイナーのショーだもん。



頑張ろう。





4月12日 雨

最悪。

また倒れた。





4月13日 曇り時々晴れ

病院に行くよう言われた。

確かに2度も倒れるくらいだから

普通の風邪では無いかも。



でも嫌だな。

大事なこの時期に病院なんて。



彼と一緒にグラタンを食べた。



明日は昼から病院に行く。





4月14日 晴れ

病院に行った。



2度も倒れた話をしたら

予想外に血を沢山採られた。

貧血じゃないと思うけど。

余計な事話しちゃったな。



検査結果は何時出るか訊いたら

2週間後にまた来いと言われた。

ちょっとそれ、ショーの直前だよ。

嫌だなぁ。





4月15日 曇り時々雨

衣装のデザイン画を見せてもらった。

スゴイ斬新、早く実物も見てみたい。





4月16日 雨

なかなか体調が回復しない。

最近は仕事にも集中できない。

それでも彼の部屋に行けば彼と抱き合う。



落ち着く。





4月17日 曇り

今日は寒かった。

薄着で出歩いて失敗した。

彼の部屋に行くと暖めてくれた。



彼の手は、大きい。





4月18日 雪

雪が降った。

今も降っている。

この時期に珍しい。

彼と2人で見てた。

もう春だしコレが最後の雪かな。

雪の降る夜は空が明るくて好き。

今夜は空が、オレンジ色だ。




















静かな部屋。




紅茶の湯気。




煙草に火を点ける。




チリリと、燃えた。




















4月25日 晴れ

衣装が届いた。

予想以上に素晴らしい。

デザイン画とは比べ物にならない。



早くコレを着て歩きたいなぁ。

最高にカッコイイだろうなぁ。





4月26日 晴れ

デザイナーが到着した。

今日から最終的なチェックに入る。



休む間もあまり無い。

ハードだ。





4月27日 雨

昼から打ち合わせ。

細かな点を再確認。

途中何度か目眩がして

倒れそうになった。



明日は検査結果。

朝から病院に行く。





4月28日 曇り

先日の検査結果が出た。

病名は告げられなかった。

只の風邪や貧血じゃない。

それだけ解ってしまった。



大学病院を紹介された。

でもこれから大型連休に入る。

ショーが終わるまでは行けないし。

ショーは明後日。

体の調子は最悪。

でも、やるしかないんだ。





4月29日 曇り時々晴れ

午前中からリハーサル。

入念に何度もチェック。



会場は舞台の準備が整って

別世界の空気を醸し出していた。

大きな規模のショーになる。

最後に女性デザイナーが言った。

皆で一緒に良いモノを残そうって。

私も残したいと思う。

今はそれしか考えない。





4月30日 快晴

良かった。

生きてて良かったなぁ、などと

少し大袈裟な事を思ってしまう。



あんな空気の中にいられる事って

生きててそうそう無い事だと思う。



そういう中に、今日、私はいた。

確実に、存在していた、と思う。



大勢の観衆。

音楽と照明。

衣装と肉体。

自尊と主張。

呼吸と存在。

そういうモノ全てがあそこに在ったと思う。

あの瞬間、確実に私は存在していたと思う。





5月1日 晴れ

仕事が休みなので午前中から彼の部屋へ。

久し振りに2人で1日ゆっくり過ごした。



穏やかな時間。

相変わらず私達は何をするでもなく。

抱き合い疲れて眠り。

起きるとキスをした。



明日、大学病院に行く。




















煙草を大きく吸い込む。




灰が音も立てず落ちた。




















5月18日 曇り時々雨

入院が決まった。





5月19日 朝は雨

今日から入院生活。

身の回りの整理とか

あまりせずに来ちゃったな。

これからどうなるんだろう。





5月20日

朝、血を採られる。

淡々と時間だけ過ぎてる。

ココにいると天気もよくわからない。

4人部屋だけど奇妙に静かだ。





5月21日

4人部屋には私の他に

40歳くらいの女性と

70歳くらいの女性と

あとは小さな女の子がいる。



小さな女の子の元には

朝からお母さんが付き添ってる。

まだ小学校低学年なんじゃないかなぁ。

お母さんに髪を結って貰ってる。



40歳くらいの女性は元気だ。

食事の時間は皆に声をかける。

この人が病気なんて信じられないなぁ。



70歳くらいの女性は静かだ。

でも旦那さんらしき人が

夕方お見舞いに来た時は

なんだか嬉しそうに笑っていたなぁ。



同部屋の人々の観察で終わった日。





5月22日

40歳の女性の大声で目を覚ました。

多分これから毎朝続くんだろうなぁ。

女の子は今日もお母さんに

楽しそうに髪を結って貰っていた。

70歳の女性は静かに本を読んでいた。

夕方からは旦那さんがお見舞いに来た。



彼は元気にしてるかな。

彼は一人では外に出たがらないし

入院の話はゆっくりできなかった。

ちゃんとご飯食べてるかな。





5月23日

お昼に40歳の女性が

大きな声で昼食に誘ってくれたので

一緒に食堂まで食べに行く。

女性ながら豪快な人だなぁ。

自分の家の容器に

漬物を入れて持ってきて

それを私に何枚もくれた。



そして大きな声で笑った。





5月24日

新しいお薬を処方された。

白いカプセルが2個と青いカプセルが1個。

私はあとどれくらい生きられるのだろう。



もうあまり時間は残って無いらしい。

それは既に先生から聞かされている。

入院前に気持ちの整理もつけたはず。



私は恐らく此処で最後まで生きる。





今日も女の子は髪を結って貰ってる。

目が合うとにっこりと笑ってくれた。





5月25日

彼は元気だろうか。

今日はそればかり考えていた。



女の子がお母さんに髪を結ってもらう。

あの姿を見ると更にそう思う。



彼は元気だろうか。

風邪なんかひいてないと良いけど。





5月26日

40歳の女性はエミさんという。

エミさんと一緒に昼食を食べている時に

遅ればせながらようやく知った。



ちゃんと考えたらベッドの枕元に

患者の名前が記されているのだけど

そういう事にあまり関心の無い私は

皆の名札をよく見ていなかった。

そう言うとエミさんは大きな声で笑った。



エミさんは今月末に手術をするらしい。

あと4日後。

頑張ってね、エミさん。





5月27日

今日は気分が優れない。

何時ものエミさんの大声で目覚めて

朝食を食べに行こうとしたところで

急に目眩がして倒れてしまった。

今日は何も食べたくない。





5月28日

70歳の女性の退院が決まった。

明日の午前に病院を出るらしい。

夕方に旦那さんが来ると

部屋の皆にお礼を言って頭を下げた。

私は何もしていないのに。

旦那さんは嬉しそうに、頭を下げた。





5月29日

会話などほとんどしなかったけど

70歳の女性が出ていった部屋は

なんだか急に物足りなくなった。

夕方になっても、誰も見舞いに来ない。

私も最近は何も食べずに寝てばかりだ。

会いたいよ。





5月30日

エミさんの手術の日。

今朝はエミさんの大きな声も無く。

慌ただしく看護婦さんが出入りしていた。

ベットに乗せられ運ばれる直前

エミさんが私を見て少し笑った。



昼間は静かに時間が過ぎた。

女の子が何時も通りに

お母さんに髪を結って貰っていた。

私はただ静かにそれを眺めていた。

お母さんが女の子を愛しそうに撫でていた。

誰も何も話さないので、病室は静かだった。



夕方過ぎエミさんが戻ってきた。

運ばれたエミさんは眠っていた。

エミさんの足は、1本なくなっていた。





5月31日

エミさんは無口だった。

当然といえば当然なんだけど。

何も喋らずに眠るエミさん。

時々痛そうに小声を漏らす。

今日は女の子のお母さんも来なかった。

なんだか不自然に静かな日。





6月1日

彼が来た!

ずっとずっとずっと

会いたかった彼が突然来た!



外に出るのをあんなに嫌ってた彼が

こうして私のお見舞いに来てくれた。

入院や病気の事は詳しく話してないのに。

こうしてわざわざ私に会いに来てくれた。



嬉しい。

会いたかったんだよ。

ホントに。ホントに。





6月2日

今日も彼が来てくれた。

何を話すでもないけど。

相変わらずのあのままの彼だ。



私は。



私はどうだろう。

彼と会わなかった数週間。

変わらずにいただろうか。



自分の手を見てみた。

酷く痩せていた。

肌も乾いていた。





6月3日

彼は毎日昼過ぎに来てくれる。

今となっては贅沢な時間だよ。

心の整理はもうできてる。

毎日のように血を採られる。

もうそんなに長くないはず。

今日も白と青のカプセルを飲む。

私はあとどれくらい生きられるだろう。





6月4日

久々にエミさんと話した。

痛みが落ち着いてきたみたい。



エミさんは笑いながら言った。

このまま病気が進行すれば

もうじき視力も無くなるのよって。



エミさんは笑った。

苦しそうに笑った。

痛みのせいよ、とエミさんは言った。

そしてまた笑った。



エミさんの病気は

じわりじわりとエミさんの体を苦しめる。

でもエミさんは元気良く私に話しかける。

エミさんの足は、1本足りなくなったのに。



昼過ぎには彼が来てくれた。





6月5日

覚悟というか整理というか

そういうのは付いてるつもりだった。



この病院のこの部屋が

最後の場所になっても

それでも良いと理解したつもりだった。



最近は揺らいでる。



まだ生きたい。





6月6日

エミさんに大きな声で起される。

女の子が髪を結って貰っている。

旦那さんが会いに来る。

彼が、私に会いに来る。

此処に来てから私が体験した事。





6月7日

エミさんが歩行の訓練を始めた。

彼が大量のスポーツ新聞を買って来た。

私のベットの横で黙ってずっと読んでいた。





6月8日

彼は毎日、私の元へ通う。

その度に活き活きしていくような気がする。

頻繁に外出するようになったからだろうか。

もう彼と共に外を歩く事は無いのだろうか。

痩せ細ってしまった自分の手を見る。

悲しくなる。

切なくなる。

どうしよう。

生きたいよ。



ティーカップを手にとると




紅茶は既に冷え切っていた。




静かに飲み干す。




窓の外には、再び淡い雪。










最後に日記に目を落とす。




















6月20日

子供の頃の事を色々考えた。

私には両親と呼べる存在が無い。

どちらかは事故か病気で死んで

どちらかは他の異性と結婚した。

確かそんな理由だったはずだ。

それで私は祖母に育てられた。



良く言えば引き取られた。

悪く言えば、捨てられた。



可も無く不可も無く成長した。

虐待された事も冷遇された事も無い。

逆に大切に育てられたくらいだと思う。


18歳ですぐに家を出た。

祖母の目の届かない場所。

高校まで出してもらった恩はあるし

祖母は上品な人で好きだったけれど

あの家に居てはいけない気がしてた。

此処は私の場所では無いという感覚。



だからといって他に

私の場所が在った訳でも無いのに。

私は家を出た。

もう今では連絡さえ取れない。

祖母は元気にしてるだろうか。



家。



私の家は何処だったのかと考える。

記憶にない最初の家。

祖母に育てられた家。

一人暮らしをした家。



彼。



やっぱり彼の部屋が。

あの部屋が私の家だったんだろう。

今更ながらそう思う。



どんなに仕事が忙しい日も

どんなに暇で退屈な日でも

あの部屋に行きさえすれば

当たり前のように彼は居た。

あの部屋で彼と抱き合えば

全てに安心できた。



ねぇ。

またあの部屋に行きたいよ。

まだあの部屋で生きたいよ。




















6月21日

昨晩寝ていると女の子が泣いていた。

今までずっとそんな事無かったのに。

その声で目が覚めたけど

私はどうしてあげる事もできなかった。





6月22日

何処までが私なんだろう。

例えば私が死ぬ瞬間は

何処までが私なんだろう。



世の中から誰も居なくなって

人も土も草も空も無くなって

風も火も水も何も無くなって

ホントに全部無くなっちゃって

真っ白な空間に私がポツンと立ってたら

それでも私は生きてる事になるのかなぁ。



私以外の何も無いなら

私の髪も指も目も声も

肉体なんてまるで意味が無くなる。



だから真っ白な空間に

私の意識と呼ばれるモノだけ

たったそれだけ在ったとして

それでも私が生きてる事になるのかなぁ。



私の目の前に、今、コップが在る。



例えば私が死ぬ最後の瞬間。

視覚も触覚も嗅覚も味覚も

全ての感覚が閉じられていく中で

何も見えない何も感じない空間で

真っ白な空間で

私はまだ生きてると思ったとして

一体、何処までが本当の私なんだろう。

そうなったら私は、何を残せるのだろう。





6月23日

女の子が死んだ。

あまりにも突然に。



お母さんに

女の子が髪を結って貰ってる。

静かな光景。

もう見飽きたと思ってたのに。



女の子が、死んだ。





病室が慌ただしい。





6月24日

死にたくないよ。

どうしよう。

死にたくないよ。

どうしよう。

嫌だよ嫌だよ嫌だよ。

怖い。

怖いよ。






嫌だ。






怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い
怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い
怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い






どうしよう。



どうしよう。



怖い。怖い。



圭くん怖いよ。






ああ、死にたくない。






死ぬのは、怖い。





6月25日

目眩がひどい。

新しいお薬が増えた。

明日から点滴も入る。

あまり長い日記は書けなくなる。

エミさんの歩行訓練は順調らしい。

2人だけでこの部屋は、少し広い。





6月26日

朝から点滴。

新しいお薬の説明を受ける。

新しいお薬を飲むとすぐに眠くなる。

あまり考え事をしなくて良いから楽かも。





6月27日

食事が病室に運ばれるようになった。

彼が食べさせてくれる。

点滴はかなり不便だな。

エミさんが大きなミカンをくれた。





6月28日

今日は気分がわるい。





6月29日

わたしはどんどん細くなる。

このまま細くなって消えてしまうのかなぁ。





6月30日

点滴がつらい。





7月1日

血液検査。

薬が増える。





7月2日





7月3日





7月4日

初雪はいっしょにみよう。





7月5日

エミさんがいなくなった。





7月6日

熱がさがらない。

お家にかえりたいよ。





7月7日

今日はすこしぐあいがいい。

こんな夢をみた。

かれの性器をわたしがあいぶしてる夢。

ていねいにていねいに

かれの性器をあいぶしていた。



わたしはげひんなんだろうか。



でもこれが生きてるって事だ。

かれの性器をていねいにあいぶする。

わたしがかれを求めている現実だ。

もうそれがかなわぬ夢だとしても。





7月8日

お薬がふえた。





7月9日

ここを出たら2人でイタリアにいきたいね。

いっしょにおいしいパスタとピザたべる?





7月10日

かれがずっと手をにぎっていてくれた。

目がさめたらなんだかとても安心した。

つながってる。

わたしはまだ生きてる。

だからまだつながってる。





7月11日

音楽、またやればいいとおもうよ。




7月12日

だれかを想うのは大切なことだ。

ひとりでは生きていけないし

ひとりでは生きてるいみがない。

すくなくとも今のわたしはそれで生きてる。





7月13日

ふしぎなほどに

今日は具合がいい。



昼から彼がきてくれた。



こんなわたしのそばに

いつもいてくれて

どうもありがとう。



生きていてくれてありがとう。



わたしが死ぬさいごのしゅんかん

なにを考えてるのかわからないけど

それがあなたの事だったらうれしい。



きょうはかれとながいキスをした。

ながいながいながい、キスをした。

なんだか涙が出てしまった。



どうもありがとう。



わたしはあなたに何を残せたんだろう。

かなしいおもい?

つらいおもい?



わたしはあなたに何を残せたんだろう。

たのしいおもい?

うれしいおもい?






どんなおもい?






だいすきだよ。


だいすきです。




わたしは残したい。


ことばを残したい。




もしもわたしが死んでも


何年たっても色あせない


そんなみずみずしい何かを残したい。


あなたと生きていた、証を残したい。




ありがとう。




ありがとう。




手をつないでくれてありがとう。


生きつづけてくれてありがとう。




そうしてまた



わたしとあなたが残したなにかが



だれかにもつながっていくように。










ふしぎなほどに今日は具合がいい。


だれもいなくなった病室。


でも


わたしはひとりじゃない。




目をつむればあなたが見えるし


手をにぎってはなしかけている。


そうおもえる。


だからきょうは安心してねむれる。






こうしてワタシの残したコトバも




いつかだれかにつながるだろうか。






つながっていくといい。




ずっとずっとずっとずっと。




今は知らないだれかの元まで。






おやすみなさい。







おやすみなさい。







おやすみなさい。










また、あした。
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